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2015年01月23日

旧・国鉄筑肥線

実はワタシは福岡の出身でして、最寄り駅は今はなき西新駅(国鉄筑肥線)でした。
歴史を紐解く必要もありませんが、簡単に解説すると。

かつて博多駅から西へ分岐し、福岡市の西南部を走り、現在の筑肥線の起点となっている姪浜まで走っていた旧筑肥線は、昭和58年の福岡市地下鉄1号線(現空港線)全通とともに、その使命を終え、廃止となりました。
「地下鉄との並行路線だから」というのが廃止理由ではあるのですが、直線距離で2km以上も離れている場所があるなど、(廃止理由が)沿線住民には納得のしづらい部分もあったようです。
しかしながら、「筑肥線の踏切交差部分が、慢性的な渋滞の原因になっている」と言われれば反論もできず、かといって全線高架あるいは地下化するほどの需要も当時はなく、結果的に目立った反対運動もなく、廃止となりました。

さて国鉄筑肥線は廃止後、徐々に道路となってゆき、「筑肥新道」なる名称も新たにつけられました。鳥飼駅(現城南区役所)~西新駅近辺は廃止前からあった道路と並行しているため、事情を知らない人にとっては延々と並行する道路があるという不思議な空間となっています。

で、旧西新駅の現在。


現在の保育園~スーパー~ファミマあたりが、旧西新駅の場所ではないかと記憶しております。

「自宅最寄り駅」といっても、単純にワタシの自宅から最も近いだけであって、実際に歩くと1時間はかかります。かくのごとく距離があり、かつこの駅を使っても行けるのは博多駅くらいですので、筑肥線を利用して出かけたという記憶はありません。

ただ、鉄道に興味を持ち始めていた頃だったので、列車や鉄道施設を眺めに行ったり、切符の購入などをしに行っていました。当時(昭和56年頃)はどの駅にも出札窓口があって、中には硬券切符がずらりと並び、駅員に目的地あるいは金額を伝えて購入していました。国鉄職員というと無愛想いやむしろ態度が悪い、などとマスコミでは叩かれ始めていましたが、別にそのような事もなかったと覚えています。

西新駅は比較的利用客が多かったのか、大人に加え小児運賃用の切符も販売していて、切符の券面の中心に赤字で「小」と書かれた姿が印象的でした。
(さきほど、「切符を買った」と書いていますが、改めて保有している切符を探しても「西新駅」のものは出てきませんでした。とりあえず参考として「小」マークつきの伊万里駅切符を出しておきます)
旧・国鉄筑肥線

鉄道ファンになる条件としては、子供の頃、比較的多く列車に乗る生活を送っていたとか、生活圏において毎日のように列車と接していた、あるいはインパクトのある車両と出会った、などというのが挙げられますが、ワタシの場合どれも当てはまりません。

先述の通り、自宅と駅はかなり離れているので、車両の姿も何も見えません。せいぜい、冬などの空気が澄んでいる時期に、西新駅を出発するディーゼルカーのタイフォンの音が、毎朝の登校中に聞こえるかどうか、といった程度です。

それでも何故か鉄道趣味に陥り、「せっかくだから」と思って訪れた西新駅。
学校が終わってからなので、行くのはいつも夕方でした。
当時はまだ国道263号線だった「早良街道」との踏切から、西の方を眺めると、夕日の中に、西新駅の島式ホーム、ホームに建つ屋根、そしてその奥に植えられた木がシルエットで見え、さらにスプリングポイント標識が放つ幻想的な紫色の光、その近くにある腕木式信号機の赤い光が見えていました。
飽きずにずっと眺めていると、やがて踏切が鳴り、クリーム+ベージュというツートンカラー塗装のキハ35系がのっそりと現れ、やがて目の前を走り去っていきます。
そんな光景を、日が暮れるまでずっと眺めていました。
締めは、DE10牽引による客車列車で、それが西に走り去ると、いよいよ周囲は暗くなっていきます。


「いつかここに、東京で走っているような直流電車が現れて、颯爽と走り去るようになるんだ!」
ガキなワタシは根拠もなくそう思っていました。
直流電車(機関車)は、何も知らない九州の片田舎にいた少年にとっては、大都会を示す憧れの車両。
当時流行ってた、ブルートレインブームの影響が尾を引いていたのかもしれません。

いわく、

田舎=赤い車両(ED72とかED76、421系、キハ類)
都会=青い車両(EF65-1000、113系など)

そんな都会を夢見る田舎者のワタシだったわけです(笑)。
つまり、憧れだけで、筑肥線に「直流の青い電車が走るのだ」と信じていたのでした。
小学生だから、仕方ないですね。


ところが、(実はすでにそれ以前からそういう話はあり、すでに工事もやっているのですが、なにぶんガキなので知るはずもない)、筑肥線が直流電化して、通勤電車が走るという話を聞き。
「ワタシは予言者ではないのか!?」などと、勝手にwktkしていた時期もありました。
しかし予言は半分外れ、
「ここに」
と思っていた西新付近は、廃止されてしまいましたが(笑

そんな頃の熱い思いを、今日、たまたま所有していた鉄道模型を片付けていたら、思い出しました。
旧・国鉄筑肥線

キハ35と103系1500番台。まさに、筑肥線の新旧世代交代。
約35年前のワタシよ、見ているかい。
君の将来は、おおむね希望通りになっているぞ(笑
しかしその後、103系1500番台は、思いっきり真っ赤に塗られてしまったんだけども。


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Posted by かるみっこ at 22:07│Comments(0)鉄道
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