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Posted by みやchan運営事務局 at

2015年11月12日

蒸気機関車

その昔、年配の(敬意を込めて)鉄道マニア先輩方の前で、「SL」などと発言すると、軽く説教を食らったものだ。
「"SL"なんてアルファベット二文字で表現できるような、軽薄なものではない。"蒸気機関車"という、どっしりとした重厚な機械集合体なのだ」

実は、私は蒸気機関車が現役で活躍している場面に接したことがない。
私が生まれた昭和40年代の後半は、すでに国鉄全線で無煙化がほぼ達成していて、「機関車」といえば「電気機関車」や「ディーゼル機関車」だった。
しかし、それもごく一部でしか用いられておらず、鉄道車両といえば、専ら電車やディーゼルカーに代わっていた。編成の長さを除けば、現代の状況に近い。
そういう車両が趣味の対象であるワカモノに、「蒸気機関車というのは、だな」と説教食わされても、正直なところ、実感がわかない。
「銀河鉄道999」がテレビや映画で放送され、一種の流行になっていたけれども、実物を見ないことにはその重厚さは分からない。今のデジタルハイビジョンと違い、ブラウン管で見る蒸気機関車は、むしろ「SL」と言っても差し支えない程度の存在感しかなかった。

全国の国鉄路線から蒸気機関車が消えてしまった後、山口線で「やまぐち号」なる列車がC57牽引で復活したが、個人的にはテーマパークの乗り物のような存在として受け取っており、隣の県に住んでいたにもかかわらず、観に行くことすらしなかった。それよりも、身近にいるはずだけどレアもののキハ66だとか、そろそろ消えてしまいそうなED72/73に関心があるという、嘆かわしい少年だった。
そのうち、九州でも蒸気機関車が復活することになった。ご存知、「SLあそBOY」である。他の路線で復活していたC57やC62、そしてD51と比較すると、軽量級の8620ということもあり、ただでさえ蒸気機関車に興味のない私は、この点においても魅力を感じることはなかった。
ただ唯一、非常に感心したのは、余分な装飾を施すことなく、限りなく現役当時のスタイルで現れたことであって、引く客車の方は仕方ないにしても、ノーマルスタイルを愛する私にとって非常に好ましい姿だったことだ。このあたり、実は、細かい部分で現役時代とは違う点がいくつもあった、という意見もあるが、お召し装飾のようなキンキラキンな姿でない限り、良しとしたい。

初めて、動いている「蒸気機関車」に出会ったのは、それから少し後だった。2000年くらいの事だと思う。とあるデジカメの画像チェックをするために阿蘇へ出かけ、キハ200などを撮影していて、偶然この「あそBOY」に出会ったのだ。
「ああ、蒸気機関車っていうものは、本当に『シュッポシュッポ』と音がするものなんだ」
と、すでに子供ではないのだが、「現代っ子」丸出しの感想を思い浮かべた。そして、かつて見たアニメ「銀河鉄道999」のSL走行音が、本当に蒸気機関車のそれだったんだ、と改めて認識した。

技術が進歩し、車体は軽量化し、エンジンやモーターも高出力化する。かつて国鉄時代に鈍重だと言われて嘲笑されていたキハ40系も、エンジンや変速機を換装して、軽々と加速していく。ちょっとした登り勾配でも、何事もないようにスイスイと登っていく。そういう姿を見て私は、
「"キハ40"っていうのは、もっと重たく、エンジンを何度も噴かしながらゆっくり加速していくもんなんだ。登り坂では自転車のような速度で走るべきだ」
などと愚痴を言ってしまう。その瞬間に、先輩の鉄道マニアの姿を思い出す。ああ、あの時彼が言いたかったのは、きっとそういう事だったんだと。

そしていつになるか分からないが、リニア新幹線などが完成し、フワッと浮きぐんぐん加速していくのを見て、それをどう思うだろう。
今の、車輪とレールを使う電車が「あたりまえ」と思っている、若い鉄道ファンが、将来そんなリニアを見て何と言うか、聞いてみたい気もする。その頃私はもう、生きていないだろうけど。

つい先日、たまたま訪れた肥薩線の白石駅で、「SL人吉」と出会った。


黒煙をもくもくと吐き、山にこだませんとする汽笛。ゆっくりゆっくり、複雑な機械が動き始め、やがて動力が車輪に伝わり、重々しく速度を増していく。
D51などと比べたら確かに軽量級なのかもしれないが、それでもこの迫力。
昔は、全国の鉄路にこの仲間があふれ、駆け巡っていた。
それを動かしていた現場の人々。
これに揺られて旅した人々。
そう考えると、確かに、「SL」という表現は、ちょっと軽すぎるのかもしれないな、と思った。



  

Posted by かるみっこ at 09:11Comments(0)日記鉄道

2015年11月10日

夜行列車の思い出


私はそのとき、「はやぶさ」に乗って山陽本線を下っていた。東京から福岡へ帰る途中だった。

福岡出身で、なによりも地元に少しでも贔屓したい私は、東京への往復にいつも「あさかぜ」を使っていた。「あさかぜ」は、ブルートレインの第一号であり、その後全国に現れる寝台専用列車網を構築した立役者だ。「動くホテル」と呼ばれる、そんな由緒ある豪華列車の終着駅が、地元・博多であるというのも、ステータスを感じて非常にいい気分だった。
「さくら」「はやぶさ」「みずほ」など、青い寝台客車を十数両も連結したブルートレインが、毎日毎日、休むことなく、夕刻に東京を出発し、翌朝、博多を通ってそれぞれの目的地へ走っていく。そんな本数を運転するほどの需要が本当にあったのかどうか、今からでは想像もしにくいが、ともかく、当時は当たり前のように、ただ黙々と走っていた。
その中に、ダイヤとしてはいちばん最後の順番で「あさかぜ」も南へ向かっていた。博多での到着時刻は10時すぎだったと記憶している。というより、11時前だったから、もうお昼時といってもいい時間だった。ビジネスで使うには、少々不便なダイヤではないかと思う。が、それでも私はよく利用していた。

そんな私が「はやぶさ」に乗っていたのは、言うまでもなく「博多あさかぜ」の廃止が原因だった。ブルートレインのパイオニア、などと言われ、話題性のある車両を先駆けて取り入れるなどの経営努力もしている同列車だったから、しばらくは安泰なんじゃないか、と思っていた。だが、それが廃止されると聞いたとき、私は少なからず動揺した。できれば最後に乗っておきたい、と思った。しかしこの時、私は青森に住んでいて、おいそれと福岡へ行くこともできず、結果的に最後の「あさかぜ」に付き合うことはできなかった。

その後、しばらく経ち、ようやく長期休暇が取れたので、青森から東京を通って福岡へ帰る途中に乗ったのが、上記の「はやぶさ」だったのだ。

うららかな山陽路を西へ向かっている途中に、ふっと思った。
「いつかは、この『はやぶさ』も廃止になってしまうだろう……」
閑散期だったせいもあるが、車内はガラガラで、一両に数人しか乗っていなかった。
「何年後か分からないけど、こういう風に列車に揺られて、ただ車窓を眺めるだけで無為に過ごすという、そのことが『ぜいたく』になるかもしれない」
何の根拠もなくそんな思いが去来した。
それが今、寝台特急が全廃されてしまい、最後の砦である急行「はまなす」ももはや風前の灯火と聞くと、あの二十年以上前に「はやぶさ」車内で考えていたことが思い起こされ、今の私は絶句してしまう。

旅行の形態は、人それぞれだ。
観光地で目一杯見て回りたい人もいれば、ただ汽車に揺られているだけで至極の楽しみを味わえる人もいる。全国の市町村役場を訪問するなんてものも、立派な旅だし、ローカルバスで見知らぬ人と会話したいという人もいる。
しかしながら、効率化や高速化で、それまで全国にあったブルートレインがすべてなくなってしまい、あるのは富裕層相手の、豪華絢爛列車だけというのも、なんとなく物足りないと思う。
と文句をいいつつも、自分では何もできない無力さを悲しく思う。

可能であれば、また今度、「ブルートレインたらぎ」にでも泊まりに行きたい。

下の写真は、かつて宮崎にも走っていた「彗星」。
  

Posted by かるみっこ at 20:57Comments(2)日記鉄道

2015年09月30日

師との別れ

私が師と仰ぐ方が一人、亡くなりました。
雲谷高原ユースホステルのマネージャー、いやペアレントの高塚一雄さんです。

彼との出会いは今から24年前に遡り、たまたま訪れたカワヨグリーンユースホステルで、当時ペアレントをしていたのが最初です。
その後何度も通うようになり、しまいには伝を頼って青森へ移住し、共に働くことになりました。
一緒に働くとなると、もちろん人間ですから、細い部分での衝突はありましたが、私としては学ぶことの多い方で、いろいろなものを吸収させていただきました。
その後、私は一般の会社へ勤め、彼は自分の夢を実現させるべく努力したのち、雲谷高原ユースホステルを開業。
自分の理想、自分の城を作って、さらなる夢へと邁進しているようでした。

時折、彼の宿のホームページ(http://moya.jp)を覗いてみては、充実したお仕事ぶりを拝見できてうれしく思ったものです。

それから十数年たち、いつしか、そのホームページもチェックしなくなって久しくなり。
同じく彼の下で働いていた仲間からの連絡で、氏がなくなったと。
慌ててホームページを見たら、今年(2015年)の2月末で閉館したとのこと。
半年以上、その動向を知らなかった自分自身に、怒りがこみ上げてきました。

できれば、一刻も早く彼の近くへ行き、最後の見送りをしたい。
しかし、宮崎からは遠すぎる。
もどかしい。

ここ数年で、親しい友人を亡くしたり、もと同僚を交通事故で亡くしたりしたけれども、今回はそれを上回るショックを受けました。
私にとって、おそらく人生の師だったからだと思います。

この想い、どうしたらいいだろう。
同時に、素敵だったであろう、あの雲谷高原ユースホステルは。そのままなくなってしまうのだろうか。
誰か意思を継ぐ方はいないのだろうか。

とにもかくにも残念です。

備忘録・http://blog.livedoor.jp/morinonakade/archives/2015-09.html
  

Posted by かるみっこ at 01:25Comments(7)日記

2015年09月24日

シルバーウィークはお仕事でした

みなさま連休中はいかがお過ごしでしたか。
ワタシはほぼすべて仕事でした(涙
最終日にようやく時間作って日向のお船出の湯に行ったくらいでして。
本業+副業(LINEスタンプづくり)ばかりの日々でした。

で、まだ審査中が一つ残っているにも関わらず、新たなスタンプを申請しました。

今回は、「くにこうぼう」初の、ねこスタンプです。
黒板スタンプにねこがあった、とは思うのですが、アレはあくまでも主役が黒板でして。
しかも、今回のねこイラスト、ほとんどあの黒板イラストからの転用という手抜き具合。

いやまぁ、あの黒板スタンプ、全く売れてないですし……
このくらいはご勘弁をお願いいたしますー(涙

お船出の湯で見かけた、ちょっと日本離れした風景が感じ入ったので、撮影&加工してみました。
iPhone6での撮影と、Snapseedというgoogle提供のアプリでの加工です。


iPhoneというか、今のスマホはものすごく性能が上がりましたね。
カメラ機能もそうですが、画像加工アプリも、無料にしてはいろいろとできるものばかり。
いちいちパソコンを起動してPhotoshop(ただしElements)を立ち上げ、画像を取り込んでうんぬんというのが、まるで過去のものになったかの如く手軽になりました。

そのうち、
「うむ昔のPCはMS-DOSというコマンドでいちいちキーボードから入力して作業していたもんだ」
というのと同じように、
「そうじゃな昔のPCはだな、ソフトを起動してファイルを開いて、そこからヘルプ見ながら操作してたもんだ」
と語り出すのではないでしょうか。
え? Windows系のヘルプって使ったことがないって?
ワタシも同じですが(笑

何が言いたいかわからなくなりましたので、このへんで。  

Posted by かるみっこ at 09:19Comments(0)イラストLINEスタンプ

2015年09月22日

テゲツーさんに掲載されました。

先日、宮崎てげてげ通信様より取材を受けました。
そして今回、それが記事になりました。(→あの宮崎弁スタンプを作った人に会ってみた【宮崎弁LINEスタンプ】
ぜひよろしければご覧ください。

併せてよろしくお願いいたします↓

日向夏とマンゴーの宮崎弁スタンプ Ver.2.0


日向夏とマンゴーの宮崎弁スタンプ


取材を受けたときは、ほぼ緊張のために何言ってるのかわからない状態で、帰ってきてから妻に「なんだか解説がまわりくどすぎてショップ店員みたい」と評されてしまいました。そうですね反省しとります。

とりあえずそんなところでお願いいたします。  

Posted by かるみっこ at 23:15Comments(0)イラスト日記LINEスタンプ