
2014年01月31日
文化ストリートが凄くてたまらない
クルマ社会の現在、郊外に小奇麗なショッピングモールができ、駐車場の少ない中心部分の商店街が廃れ、シャッター街になりつつあるのは御存知の通りですね。
宮崎も同じく、メインのアーケード街などでもシャッターを閉じた店が目立つのですが、さらにそれを超越した空間があるのをご存知でしょうか? それが今回訪れた「文化ストリート」ではないか、と勝手に思っております。
「文化ストリート」。名前がまたすごいです。文化というと、昭和を思い出します。文化住宅、文化包丁、……モノに「文化」とつけると、なんとなく新しい時代のもの、そういう時期があったようですが、ここはそれと関係があるのでしょうか。
大きな地図で見る
さて、まずはその入口です。

表にはおおきめの看板があり、複数のお店が軒を連ねているように店名が書かれています……が、ご覧のとおり真っ暗です。お店があるようには思えません。

入るとこのように、シャッター街が続きます。道幅は人3人が並んで歩ける程度。そして通路上にも天井があって、なおのこと閉塞感を強調します。

ただ数軒、営業しているお店もあって、照明がついている所や、

奥から何やら話し声の聞こえるところ、

夕方以降の営業のようですが、「暗闇を進んでつきあたりを左へ…」というメッセージボードのある店。メニューのないごはん屋というのが気になります。営業時間中にぜひとも訪れてみたいですね。

廃業されて久しいくすり屋さんでしょうか。このロゴには懐かしいものを感じます。

若草通り側の入口の一つの、この掲げられたアーティスティックなイラストも、非常に独特で興味をそそられます。ただしこちらはシャッターが降りて閉鎖中のようです。

看板部分のアップ。このセンス、ただものではない……!!

もう一つの若草通り側の入口は、目の前に八百屋さんが盛業中のようです。しかし、やはり暗い。
こんな不思議な空間、昭和だったらそのまま廃れ、そしてバブルの頃だったらとっくに潰されてビルになったり駐車場になったりするはずなのですが、今でもしっかり残っているのに感動です。
そして、やはりここが「すごい!」と思った方々はいるらしく、文化ストリートアート化計画なるアーティスト集団もいるようです。面白そうな取り組みですね。
この、「廃」の風景だけでも、日常離れしていて非常に興味深いのですが、それだけではなく、閉店している店を、それぞれの感性を持ったアーティストが借りて、それぞれにショップや展示会などをやったら非常に面白いのではないかと思います。クルマが入れないような狭い道も、最近の量販店で流行の「圧縮陳列」風で楽しめるのではないかと。
あと、こういった企画もあったらしく、いやあ、面白いですねぇ。
何か機会があれば参加してみたいもんです。
宮崎も同じく、メインのアーケード街などでもシャッターを閉じた店が目立つのですが、さらにそれを超越した空間があるのをご存知でしょうか? それが今回訪れた「文化ストリート」ではないか、と勝手に思っております。
「文化ストリート」。名前がまたすごいです。文化というと、昭和を思い出します。文化住宅、文化包丁、……モノに「文化」とつけると、なんとなく新しい時代のもの、そういう時期があったようですが、ここはそれと関係があるのでしょうか。
大きな地図で見る
さて、まずはその入口です。









こんな不思議な空間、昭和だったらそのまま廃れ、そしてバブルの頃だったらとっくに潰されてビルになったり駐車場になったりするはずなのですが、今でもしっかり残っているのに感動です。
そして、やはりここが「すごい!」と思った方々はいるらしく、文化ストリートアート化計画なるアーティスト集団もいるようです。面白そうな取り組みですね。
この、「廃」の風景だけでも、日常離れしていて非常に興味深いのですが、それだけではなく、閉店している店を、それぞれの感性を持ったアーティストが借りて、それぞれにショップや展示会などをやったら非常に面白いのではないかと思います。クルマが入れないような狭い道も、最近の量販店で流行の「圧縮陳列」風で楽しめるのではないかと。
あと、こういった企画もあったらしく、いやあ、面白いですねぇ。
何か機会があれば参加してみたいもんです。
2014年01月13日
ローカル線をゆく(8)九州編
電子書籍が流行し、本を裁断してデジタル化する"自炊"なるものも(ちょっと前に)よく見かけましたが、しかしそれでも、ほんものの「本」というのは、長く保存できるから、いいものですね。
つい先日、ローソン系の電子書籍・エルパカBOOKSが終了というニュースが流れましたが、お金を払ったはずの書籍が、実はライセンス付与という扱いだったためにサービス終了後は読めなくなり、結果的に購入額をポイントにて還元という苦しい対応を行うようです。
ちょい見とか、話題になっているから見てみたい、その程度であれば、低料金の電子書籍も選択の一つかとは思いますが、やはり写真集などは、実物の本を購入したいものです。
さて、長い前振りですが、自宅の奥から掘り起こすまでもなく、懐かしい1冊が現れました。
「ローカル線をゆく(8)九州編」桐原書店です。

編者は"あの"種村直樹氏。写真は猪井貴志氏。
種村氏というと、ごく近年では、鉄道ジャーナル誌周辺におけるゴタゴタが(一部で)話題となり、外周の旅も終わったんだかどうなんだか(一応完結したらしいけど、その最終段階は文章化されていない)、そして何はともあれ、「ほぼ内輪」で盛り上がり、外部からはよく分からないという旅行記を書いていたため、いろいろと批判もなされていたのですが、この「ローカル線をゆく」の頃(昭和56(1981)年)は、まだまだ違和感の少ない内容で、それなりに読めたものでした。
ただ、今回は種村氏の紹介ではないので、彼の話はここで割愛させていただきます。
そこに掲載された、国鉄時代の高千穂線をアップしたいと思います。

表紙にもなっている、高千穂橋梁を渡るキハ20の3両編成です。宮崎は九州の中でも、最後の最後まで旧型が活躍する地区なのですが、すでに30年以上も前から、そのパターンは変わっていないという事が分かります(笑)。いや、この本を開いてみると、確かに他の地域にも、旧型気動車であるキハ20やキハ55は見られますが、さすがに「初期型」のバス窓車両を、3両のうち2両まで使用しているのは高千穂線だけです(笑)。まぁ、それを言われれば、客車として走っている「ながさき号」などはどうなるのか、と言われますが、あれは特殊なので……。

3枚の写真のうち、注目すべきは左側の1枚。台風で流された鉄橋や、その背後にあるトラス橋は後年と同じなので特に何も感じないのですが、わずかに右側に見える国道218号線が狭いうえに、交通量が少ないのに、隔世の感があります。

基本的な景色は、高千穂鉄道に移管された後もほとんど変化がなく、一部での駅舎の建て替えや駅名票のペイントがなされた程度です。ワタシは、転換直前に訪れるチャンスがありつつも、当時は福岡に住んでいたため、距離的な問題で断念してしまいました。あのとき行っておけば、と非常に残念です。
つい先日、ローソン系の電子書籍・エルパカBOOKSが終了というニュースが流れましたが、お金を払ったはずの書籍が、実はライセンス付与という扱いだったためにサービス終了後は読めなくなり、結果的に購入額をポイントにて還元という苦しい対応を行うようです。
ちょい見とか、話題になっているから見てみたい、その程度であれば、低料金の電子書籍も選択の一つかとは思いますが、やはり写真集などは、実物の本を購入したいものです。
さて、長い前振りですが、自宅の奥から掘り起こすまでもなく、懐かしい1冊が現れました。
「ローカル線をゆく(8)九州編」桐原書店です。

種村氏というと、ごく近年では、鉄道ジャーナル誌周辺におけるゴタゴタが(一部で)話題となり、外周の旅も終わったんだかどうなんだか(一応完結したらしいけど、その最終段階は文章化されていない)、そして何はともあれ、「ほぼ内輪」で盛り上がり、外部からはよく分からないという旅行記を書いていたため、いろいろと批判もなされていたのですが、この「ローカル線をゆく」の頃(昭和56(1981)年)は、まだまだ違和感の少ない内容で、それなりに読めたものでした。
ただ、今回は種村氏の紹介ではないので、彼の話はここで割愛させていただきます。
そこに掲載された、国鉄時代の高千穂線をアップしたいと思います。



2014年01月11日
旧高千穂鉄道・西延岡駅
猿渡氏の西延岡駅紹介ページには、
"対岸には長大な築堤と高架橋の工事が行なわれています。延岡北方道路という有料道路で、将来的には九州横断自動車道路となり延岡と熊本を結ぶ高速道路になる予定。"
このときに作られていた道路はすでに完成し、県道241号線として開通しています。北方延岡道路へ接続する道路として重用され、開通後、高千穂鉄道と並行していた国道218号線は、かつての賑わいが嘘のように沈静化し、開通前の渋滞ももはや過去帳入りしてしまったようです。
故に、高千穂鉄道(=旧国鉄高千穂線)の開通時の賑わい、そして国道が整備されていくに連れてモータリゼーションが起き、鉄道が廃れていく時代の流れを思い出し、それ(国道)が高千穂鉄道のライバルであったがために、複雑な心境となります。

そんな国道から少し入った場所にあるのが、西延岡駅。
駅前から見ると、今でも営業しているように見えます。
いや、駅前ではなく、

ホームを降り立ったところから眺めても、やはり、列車がやってきそうな錯覚に陥ります。列車が止まってすでに8年。一部では線路や施設が撤去され、道路化されていたり、あるいは道路化の工事がなされているのですが、さすがに国道から離れた、田園地帯に囲まれている駅跡は使い勝手が悪いのでしょうか? ただ、駅前にはアパートなどの集合住宅もあり、いつ市街地に飲み込まれても不思議ではありません。
しかし、駅前には

立派な石造りの蔵が建っており、まるで駅を守るかのように存在しています。
かつて、鉄道駅と、倉庫(農業倉庫など)は、ワンセットで展開されていました。
古い時代を再現したジオラマなどでも、駅、農業倉庫、郵便局、駅前旅館、バス車庫が必須アイテムとなっているほどです。
貨物の主役が鉄道からクルマとなり、また、宅配便などの普及により広い倉庫が必要になるなどして、こういった設備は駅前から国道沿い、あるいはバイパス沿いに移動、駅前のそれは取り壊される事が多いのですが、さすがにこの「石造り」は、そうそう簡単に撤去するわけにもいかないでしょうね、と脳天気に考えています。いや、実際、残って欲しいものの一つです。
猿渡氏が訪れたときは、「引込み線の跡が見えます」とありますが、現在現地は周囲が駐車場となっているため、これを確認することができませんでした。

駅名票は近くにある本東寺との由。
なお、駅裏に見える建物は、延岡わかあゆ支援学校の一部ですが、ここも別の支援学校と合併して移転し、今は閉校しています。
"対岸には長大な築堤と高架橋の工事が行なわれています。延岡北方道路という有料道路で、将来的には九州横断自動車道路となり延岡と熊本を結ぶ高速道路になる予定。"
このときに作られていた道路はすでに完成し、県道241号線として開通しています。北方延岡道路へ接続する道路として重用され、開通後、高千穂鉄道と並行していた国道218号線は、かつての賑わいが嘘のように沈静化し、開通前の渋滞ももはや過去帳入りしてしまったようです。
故に、高千穂鉄道(=旧国鉄高千穂線)の開通時の賑わい、そして国道が整備されていくに連れてモータリゼーションが起き、鉄道が廃れていく時代の流れを思い出し、それ(国道)が高千穂鉄道のライバルであったがために、複雑な心境となります。

そんな国道から少し入った場所にあるのが、西延岡駅。
駅前から見ると、今でも営業しているように見えます。
いや、駅前ではなく、

しかし、駅前には

かつて、鉄道駅と、倉庫(農業倉庫など)は、ワンセットで展開されていました。
古い時代を再現したジオラマなどでも、駅、農業倉庫、郵便局、駅前旅館、バス車庫が必須アイテムとなっているほどです。
貨物の主役が鉄道からクルマとなり、また、宅配便などの普及により広い倉庫が必要になるなどして、こういった設備は駅前から国道沿い、あるいはバイパス沿いに移動、駅前のそれは取り壊される事が多いのですが、さすがにこの「石造り」は、そうそう簡単に撤去するわけにもいかないでしょうね、と脳天気に考えています。いや、実際、残って欲しいものの一つです。
猿渡氏が訪れたときは、「引込み線の跡が見えます」とありますが、現在現地は周囲が駐車場となっているため、これを確認することができませんでした。

なお、駅裏に見える建物は、延岡わかあゆ支援学校の一部ですが、ここも別の支援学校と合併して移転し、今は閉校しています。
2014年01月11日
曽木駅・追記
先日、旧高千穂鉄道・曽木駅の記事を書きましたが、一つ忘れていることがありました。
現地を訪れたあと、周囲の確認をするために、何気なくGoogle Mapの航空写真を見ていたのですが、
まず全景からです。

赤丸を付けてみましたが、よく見えないのでもう少し拡大してみると、

田んぼの中に「絆」らしき文字が見えますね。
この航空写真が撮影されたのが2011年以降じゃないかとは思うのですが、ネットで検索かけてもよく分からなかったので、謎です。
ちなみに、
Yahoo!地図の航空写真には見えません。時期が違うのでしょうか。
航空写真で見えるほど巨大な文字……すごいですね。
現地を訪れたあと、周囲の確認をするために、何気なくGoogle Mapの航空写真を見ていたのですが、
まず全景からです。


この航空写真が撮影されたのが2011年以降じゃないかとは思うのですが、ネットで検索かけてもよく分からなかったので、謎です。
ちなみに、
Yahoo!地図の航空写真には見えません。時期が違うのでしょうか。
航空写真で見えるほど巨大な文字……すごいですね。
2014年01月09日
旧高千穂鉄道・曽木駅
昨日は、去年5月に亡くなった、友人の猿渡氏の墓参りに、福岡へ行ってきました。
彼は生前、宮崎の高千穂鉄道を大変気に入っており、休日のたびに、クルマやバスで、足繁く通っていました。
諸般の事情により、廃止後まもなく、彼の訪問の集大成であったホームページは閉じてしまいました。非常に情報量も多く、残念でしたが、よくよく考えると、archiveサービスというのがあったと思い、調べてみたら、ありました。
……というわけではありませんが、今回、彼の墓参りの帰り道、いくつか高千穂鉄道の駅に寄ってきたので、ここで紹介します。なお、写真が多い関係で、複数回に分けますのでご了承ください。
■曽木駅

高千穂鉄道のいくつかあった駅のうち、国道を大きくそれ、集落の中にぽつんと存在していたのが、この曽木です。集落の公共交通機関がこの駅だけというのは、国道218号線が拡幅されて、鉄道の替わりとして君臨する以前の、かつての高千穂線沿線の姿ではなかったのだろうか、と、猿渡氏は語っておりました。

曽木駅の待合室部分です。この左側は公民館として利用されているようです。しかしこちら側は荒れ放題です。

危険品持ち込み禁止の案内が残っていました。この駅で、鉄道らしい表記が残されているのは、これだけです。

ホームと線路の高さが違いはずなのですが、駅舎から出るとそのまま線路、のようになっています。廃線後に道床が嵩上げされるはずもないですから、謎です。現役時代、何度か通過したことがあるはずなので、見たはずなのですが……よくわかりません。

国鉄時代の境界標が残っていますね。
彼は生前、宮崎の高千穂鉄道を大変気に入っており、休日のたびに、クルマやバスで、足繁く通っていました。
諸般の事情により、廃止後まもなく、彼の訪問の集大成であったホームページは閉じてしまいました。非常に情報量も多く、残念でしたが、よくよく考えると、archiveサービスというのがあったと思い、調べてみたら、ありました。
……というわけではありませんが、今回、彼の墓参りの帰り道、いくつか高千穂鉄道の駅に寄ってきたので、ここで紹介します。なお、写真が多い関係で、複数回に分けますのでご了承ください。
■曽木駅




