
2015年02月25日
2015年02月21日
ねこハウス

以前、飼っていたねこが、自宅前(現在の家に引っ越す前※)で車に轢かれてしまった経験を持つワタシとしては、「ねこは家飼いが基本」であるのですが、ねこの性格によっては、「家猫」になってくれない事もあります。
数ヶ月前、自宅近辺に出没し、エサを求めてきた茶トラ白の"ダニー"も、「家を出たい症候群」にかかっており、いろいろと悩んだり相談した末に、結局は外飼いとすることにしました。
しかし、宮崎とはいえど、まだ外は寒い冬。
たまたま、自宅には、先住ねこのために作っていた「ねこハウス」があり、しかし先住ねこは、このハウスに一切興味を示してくれなかったので、ダニーの緊急避難先として、このハウスを活用することにしました。
それはそれでいいのですが、このハウス、家というよりもむしろ、「爪とぎ専用」となっており、

外見は見るも無残な状態となっていました。しかも、「家の中で使う前提」だったので、雨の日の屋外ではイマイチ不安な部分もあり、今回、全面的にリフォームすることにしました。
ええ、たかが「ねこ」のためですが、がんばります。
まずは、外壁の修復です。
爪とぎ専用だったために、ボロボロ&ハゲハゲになっていた外壁を、キレイに剥がします。
ついでに、屋根上の板の継ぎ目がある程度開いていたので、ここにコーキングを施します。
さらには、まだ寒い屋外で、なるべく日光を取り入れるよう、サンルーフを作ります。たまたま自宅に透明プラ板があったので、それを活用しました。

全体を見ると、こんな感じです。まだ外壁を磨く前ですが。

このサンルーフをつける前と、つけた後の明るさの効果は、

Before

After
という具合で、劇的です! 劇的ビフォー(以下略)

もちろん窓から内部を見ることもできるので、不在確認もできます。
安心です。
で、今回は、以前のレンガ模様&青空屋根のイメージを変え、白壁&板屋根にしました。


んー、なんだか、ねこの家じゃない感じ(笑
というわけで、

まだノリや接着剤の臭いがするはずなのですが、気にすることなく入ってくれます。
ま、しばらくするとまたどこかへ出かけるのでしょうが……
※以前住んでいた場所は、自宅目の前にそこそこ交通量の多い道路があり、うるさい上に危険でした。今回の家を決めるにあたって、不動産屋さんに指定したのは、
「地区はどこでも可(宮崎南部だろうが北部だろうが、どこでもいい)、ただし幹線道路から最低でも1本奥に入っている場所」
でして、その結果、私道のちょうど行き止まりにある我が家を見つけてくれました。確かに外飼いは不安ですが、以前よりはるかに安全かとは思います。
2015年02月08日
気動車
まだJRが国鉄だった頃、全国の鉄道ネットワークは今よりもはるかに充実していました。
「JRに民営化されたため鉄道路線が少なくなった」というより、単純に、当時まだ自動車が高価なものであって、一家に一台あるかないか、という時代だったから、移動手段がバスか鉄道しかなかったためなのでしょう。
今では日南線が、宮崎から長いヒゲのように志布志までつながっているだけで、それから先は空白地帯になっていますが、もちろんこの先にも志布志線や大隅線が、都城や鹿屋方面、そして国分まで繋がっていました。
その頃、この地域を走っていたのが、下のような車両です。

左から、キハ17、キハ26(55系)、キハ52(20系)
いずれも、北海道を除くほぼ全国を走っていたディーゼルカーで、宮崎・鹿児島だけという車両ではありませんが、この近辺を走っていた異色の車両が、中央の「キハ26」です。
この写真からではすごく分かりづらいのですが、実はこれ、もともと「キロ25」という車両で、グリーン車でした。
キハ55系はそもそも、急行列車専用として製造されたのですが、後にキハ58系が登場し、それが冷房化されると、冷房もなく旧式のキハ55系はそれぞれ普通列車用として使われることになります。田舎を走る普通列車にグリーン車などは不要なので、そのまま普通車化されるのですが、座席を載せ替えるのにも費用がかかるため、設備は改造なしとなり、結果として、「乗り合わせたらラッキー」という車両として鉄道ファンらから珍重されました。
昭和50年台には、すでに全国区からキハ17は消えかけていたのですが、宮崎近辺ではいまだ現役でした。いつもそうですが、基本、宮崎近辺は古い車両が集まります。しかし、何故かマニアから注目されることはなく、廃車寸前まで、訪れる人も少ないです。
一方、その頃福岡ではどうだったかというと。

左からキハ66、キハ23、キハ35
キハ66系などは北九州専用車両なので、主に吉塚以北で運用されていました。すぐ隣の博多駅にすら姿を見せない不思議な存在でした。
もともと、新幹線が博多駅まで開通し、その客を筑豊各都市まで運ぶ目的で設計され、しかも車内は新幹線と同じイメージの転換クロスシートを装備するという豪華車両だったのにも拘らず、博多駅に乗り入れしなかった(できなかった)理由は単純で、吉塚~博多駅間の線路容量が不足したためです。平成3年にその問題が解決するまで、大部分の列車は吉塚留まりでした。
そのため、足繁く博多駅に通っていたワタシでも、キハ66を見かけたのはしばらく経ってからでした。
キハ66に乗って筑豊へ行くと、キハ23という少数車両に出会うこともありました。キハ20の新型として製造されつつも需要が少なく、あまり造られずに終わった型式です。
キハ35は主に筑肥線や筑豊各線などの、利用客が多い場所を好んで走って(?)いましたが、それ以外の地域では、ロングシートというのもあって、利用客からはあまり歓迎されていないようでした。消滅した今となっては、なんともうらやましい話です。ただしファンの目線では、ですけどね。
「JRに民営化されたため鉄道路線が少なくなった」というより、単純に、当時まだ自動車が高価なものであって、一家に一台あるかないか、という時代だったから、移動手段がバスか鉄道しかなかったためなのでしょう。
今では日南線が、宮崎から長いヒゲのように志布志までつながっているだけで、それから先は空白地帯になっていますが、もちろんこの先にも志布志線や大隅線が、都城や鹿屋方面、そして国分まで繋がっていました。
その頃、この地域を走っていたのが、下のような車両です。
左から、キハ17、キハ26(55系)、キハ52(20系)
いずれも、北海道を除くほぼ全国を走っていたディーゼルカーで、宮崎・鹿児島だけという車両ではありませんが、この近辺を走っていた異色の車両が、中央の「キハ26」です。
この写真からではすごく分かりづらいのですが、実はこれ、もともと「キロ25」という車両で、グリーン車でした。
キハ55系はそもそも、急行列車専用として製造されたのですが、後にキハ58系が登場し、それが冷房化されると、冷房もなく旧式のキハ55系はそれぞれ普通列車用として使われることになります。田舎を走る普通列車にグリーン車などは不要なので、そのまま普通車化されるのですが、座席を載せ替えるのにも費用がかかるため、設備は改造なしとなり、結果として、「乗り合わせたらラッキー」という車両として鉄道ファンらから珍重されました。
昭和50年台には、すでに全国区からキハ17は消えかけていたのですが、宮崎近辺ではいまだ現役でした。いつもそうですが、基本、宮崎近辺は古い車両が集まります。しかし、何故かマニアから注目されることはなく、廃車寸前まで、訪れる人も少ないです。
一方、その頃福岡ではどうだったかというと。
左からキハ66、キハ23、キハ35
キハ66系などは北九州専用車両なので、主に吉塚以北で運用されていました。すぐ隣の博多駅にすら姿を見せない不思議な存在でした。
もともと、新幹線が博多駅まで開通し、その客を筑豊各都市まで運ぶ目的で設計され、しかも車内は新幹線と同じイメージの転換クロスシートを装備するという豪華車両だったのにも拘らず、博多駅に乗り入れしなかった(できなかった)理由は単純で、吉塚~博多駅間の線路容量が不足したためです。平成3年にその問題が解決するまで、大部分の列車は吉塚留まりでした。
そのため、足繁く博多駅に通っていたワタシでも、キハ66を見かけたのはしばらく経ってからでした。
キハ66に乗って筑豊へ行くと、キハ23という少数車両に出会うこともありました。キハ20の新型として製造されつつも需要が少なく、あまり造られずに終わった型式です。
キハ35は主に筑肥線や筑豊各線などの、利用客が多い場所を好んで走って(?)いましたが、それ以外の地域では、ロングシートというのもあって、利用客からはあまり歓迎されていないようでした。消滅した今となっては、なんともうらやましい話です。ただしファンの目線では、ですけどね。
2015年02月04日
ED73比較
今回も宮崎とはほとんど関係のない話でございます。
ワタシが鉄道ファンになった頃、まだ九州にはED72とかED73、そしてその後北陸からEF70がやってくる等、電気機関車は(今よりも)バラエティーに富んでおりました。
しかしながら現在、ED72は試作車のみ保存、ED73は現存せずとなっていて、写真か模型の世界でしか、その姿をしのぶことはできません。唯一このグループで(静態保存として)残っているED72試作車は、その後の量産型およびED73とはかなり違う風貌になっており、それしか知らない人にとっては「コレジャナイ」感が全開です。
現役だった頃、どこかでNゲージの模型が出ないであろうかと思っていたのですが、かなりマイナーな部類の車両なのでそれを期待することもできず、頭の中で設計図を描いて頭の中で組み立てる、いわゆる「妄想」でしか模型化できなかったわけです。
ところが、時代が下るといろんな事が起こるというべきか、まずED72がマイクロエースから模型化されます。
ワタシは黄色いナンバーのED73よりも、こちらのED72の方が(風格としても)好きで、唯一在庫を持っていた某ネット模型店で購入しました。
そして後に、同じくマイクロエースからED73が模型化されるという話になり、こちらは予約で購入しました。
そして登場したED73は、台車のステップ位置が間違っていたということで一旦回収になったりなどのトラブルもありましたが、まぁ、レア車両の模型化ということで満足していたもんです。
で、それからしばらくすると、今度は、あの大手のKATOからED73が模型化されるとの由。
どちらかというと有名どころしか作らないKATOなのに、なぜ? と思いつつも、最近のJRの新製車両よりも国鉄型の方がウケがいいからかな、でもED73だと確実に九州だけしか受注がなさそうだななどと思いつつ、かなり悩みながらも予約。
悩んだ理由は単純で、既にマイクロエース製を所有しているから、同じものを持っていても仕方がないという思いだったのですが。
しかしせっかく模型化してくれるなら、やはり買うべきでしょうという結論に。
別パーツ化された手すりの取り付けなどにかなり難渋しながらも、いざ出来上がってみると、さすがはKATOというべきか。

左マイクロエース、右KATOと並べてみると、確かに往年の姿を知っている者からすると、KATOの方が的確であって、KATOを見てしまうと、マイクロエースは「えーっと、君だれ?」な状態になります。
前面比較。

ただ、……KATOで唯一残念なのは、ワイパーの部分ですかね。ここだけ、なんとなく違和感があります。はい。
ワタシが鉄道ファンになった頃、まだ九州にはED72とかED73、そしてその後北陸からEF70がやってくる等、電気機関車は(今よりも)バラエティーに富んでおりました。
しかしながら現在、ED72は試作車のみ保存、ED73は現存せずとなっていて、写真か模型の世界でしか、その姿をしのぶことはできません。唯一このグループで(静態保存として)残っているED72試作車は、その後の量産型およびED73とはかなり違う風貌になっており、それしか知らない人にとっては「コレジャナイ」感が全開です。
現役だった頃、どこかでNゲージの模型が出ないであろうかと思っていたのですが、かなりマイナーな部類の車両なのでそれを期待することもできず、頭の中で設計図を描いて頭の中で組み立てる、いわゆる「妄想」でしか模型化できなかったわけです。
ところが、時代が下るといろんな事が起こるというべきか、まずED72がマイクロエースから模型化されます。
ワタシは黄色いナンバーのED73よりも、こちらのED72の方が(風格としても)好きで、唯一在庫を持っていた某ネット模型店で購入しました。
そして後に、同じくマイクロエースからED73が模型化されるという話になり、こちらは予約で購入しました。
そして登場したED73は、台車のステップ位置が間違っていたということで一旦回収になったりなどのトラブルもありましたが、まぁ、レア車両の模型化ということで満足していたもんです。
で、それからしばらくすると、今度は、あの大手のKATOからED73が模型化されるとの由。
どちらかというと有名どころしか作らないKATOなのに、なぜ? と思いつつも、最近のJRの新製車両よりも国鉄型の方がウケがいいからかな、でもED73だと確実に九州だけしか受注がなさそうだななどと思いつつ、かなり悩みながらも予約。
悩んだ理由は単純で、既にマイクロエース製を所有しているから、同じものを持っていても仕方がないという思いだったのですが。
しかしせっかく模型化してくれるなら、やはり買うべきでしょうという結論に。
別パーツ化された手すりの取り付けなどにかなり難渋しながらも、いざ出来上がってみると、さすがはKATOというべきか。

左マイクロエース、右KATOと並べてみると、確かに往年の姿を知っている者からすると、KATOの方が的確であって、KATOを見てしまうと、マイクロエースは「えーっと、君だれ?」な状態になります。
前面比較。

ただ、……KATOで唯一残念なのは、ワイパーの部分ですかね。ここだけ、なんとなく違和感があります。はい。
2015年02月01日
ゴハチとロクゴ

今となっては珍しい(というかキハ58は絶滅寸前、キハ65は形式消滅済)急行型ディーゼルカーですが、今から20年くらい前までは全国どこでもこの車両が走っていて、「またコレか」などと言っておりました。
今でいうキハ40系の存在に近いものがあります。
そしてそのキハ40系も、恐らく10数年で急速に消えて行くのではないかな、と思うと、今のうちに乗っておかなきゃと思う反面、ま、いつでもいいかなと思うワタシがいます。どちらかというと、消えて行くものに、あまり関心を抱かず、消えてしまって、しばらく後に残念がるという性格です。
キハ58もキハ65も、急行「えびの」として宮崎まで顔を出しており、遠く博多駅まで走っていました。今でこそ、福岡へ行くには高速バスか、あるいは飛行機の二択しかありませんが、20年くらい前は急行列車というのが選択肢としてあったわけです。
なお、同じ「宮崎~博多」でいえば、今でも「にちりんシーガイア」が1日1.5往復という変則的な走り方をしていますが、こちらは、宮崎~延岡~大分~小倉~博多という、いわゆる都市間連絡の意味合いを持っているために何とか生きながらえております。対して、急行「えびの」は、宮崎~都城~吉松~人吉~熊本~博多を走り、この運転区間は九州自動車道(高速道路)のそれに近いものの、明治以来あまり改良がなされていない矢岳越え(吉松~人吉)を含むため高速バスに比べてものすごく時間をかけてしまい、結果として利用客も少なく、廃止されてしまいました。
Posted by かるみっこ at
23:30
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