› かるブロ › 2015年02月08日

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Posted by みやchan運営事務局 at

2015年02月08日

気動車

まだJRが国鉄だった頃、全国の鉄道ネットワークは今よりもはるかに充実していました。
「JRに民営化されたため鉄道路線が少なくなった」というより、単純に、当時まだ自動車が高価なものであって、一家に一台あるかないか、という時代だったから、移動手段がバスか鉄道しかなかったためなのでしょう。

今では日南線が、宮崎から長いヒゲのように志布志までつながっているだけで、それから先は空白地帯になっていますが、もちろんこの先にも志布志線や大隅線が、都城や鹿屋方面、そして国分まで繋がっていました。
その頃、この地域を走っていたのが、下のような車両です。

左から、キハ17、キハ26(55系)、キハ52(20系)

いずれも、北海道を除くほぼ全国を走っていたディーゼルカーで、宮崎・鹿児島だけという車両ではありませんが、この近辺を走っていた異色の車両が、中央の「キハ26」です。
この写真からではすごく分かりづらいのですが、実はこれ、もともと「キロ25」という車両で、グリーン車でした。
キハ55系はそもそも、急行列車専用として製造されたのですが、後にキハ58系が登場し、それが冷房化されると、冷房もなく旧式のキハ55系はそれぞれ普通列車用として使われることになります。田舎を走る普通列車にグリーン車などは不要なので、そのまま普通車化されるのですが、座席を載せ替えるのにも費用がかかるため、設備は改造なしとなり、結果として、「乗り合わせたらラッキー」という車両として鉄道ファンらから珍重されました。

昭和50年台には、すでに全国区からキハ17は消えかけていたのですが、宮崎近辺ではいまだ現役でした。いつもそうですが、基本、宮崎近辺は古い車両が集まります。しかし、何故かマニアから注目されることはなく、廃車寸前まで、訪れる人も少ないです。

一方、その頃福岡ではどうだったかというと。

左からキハ66、キハ23、キハ35

キハ66系などは北九州専用車両なので、主に吉塚以北で運用されていました。すぐ隣の博多駅にすら姿を見せない不思議な存在でした。
もともと、新幹線が博多駅まで開通し、その客を筑豊各都市まで運ぶ目的で設計され、しかも車内は新幹線と同じイメージの転換クロスシートを装備するという豪華車両だったのにも拘らず、博多駅に乗り入れしなかった(できなかった)理由は単純で、吉塚~博多駅間の線路容量が不足したためです。平成3年にその問題が解決するまで、大部分の列車は吉塚留まりでした。

そのため、足繁く博多駅に通っていたワタシでも、キハ66を見かけたのはしばらく経ってからでした。

キハ66に乗って筑豊へ行くと、キハ23という少数車両に出会うこともありました。キハ20の新型として製造されつつも需要が少なく、あまり造られずに終わった型式です。
キハ35は主に筑肥線や筑豊各線などの、利用客が多い場所を好んで走って(?)いましたが、それ以外の地域では、ロングシートというのもあって、利用客からはあまり歓迎されていないようでした。消滅した今となっては、なんともうらやましい話です。ただしファンの目線では、ですけどね。  

Posted by かるみっこ at 09:29Comments(0)鉄道