› かるブロ › 2009年02月10日

スポンサーリンク


上記の広告は一定期間更新のないブログに表示されます。新しい記事を書く事で広告が消す事ができます。

  

Posted by みやchan運営事務局 at

2009年02月10日

川口貨物線跡?

宮崎市内の地図を見ていて、不思議な道路に気づいたのは、数年前のことであります。
宮崎駅から、大淀川河口に向けて、斜めに真っ直ぐ伸びた道路。
普通の道路や、町の区画を全く無視して、2本の斜めの道路が走っております。

こんな不思議な道路は、ほぼ間違いなく、道路とは異質なものが走っていたと判断すべきです。
その異質なものとは、一つは水路を埋め立てた暗渠であり、もう一つは、鉄道路線。
しかし、こんな区間に鉄道を設ける意味もないと思っていたワタシは、「やはりただの暗渠か、ただの偶然か」と考えておりました。

ところが、調べると出てくるもんでして。
この、宮崎駅から出来島にかけての不思議な道路は、かつての「宮崎県営鉄道・川口貨物線」というのが判明。
宮崎駅近辺で勃興した、鉄道建設を助けるために建設された、「鉄道資材輸送のための貨物線」でした。
そのために、便利な大淀川河口付近に貨物駅を設けたとのこと。

いろいろと資料を調べても、営業期間はわずかに、大正3年から同6年。たったの3年。
宮崎県営鉄道から、鉄道院(→後の国鉄、さらに後のJR)に編入された直後に廃止になっております。
つまり、資材を運び、後に、鉄道が大分と連結したら、お払い箱にされた、悲運の貨物線です。
しかし実際には、大正末期までその跡地は残っていたそうですが。

で、とりあえず現地を歩いてみました。
ひょっとすると何か痕跡があるかもしれない。
当然、線路や路盤はまず期待できないけれども。
例えは悪いですが、もしかして、貨物列車で事故に遭遇した人の遺族が、地蔵か何かを立てているかもしれない。
そんな淡い期待を抱きつつも。

しかし、残念ながら、大正時代の廃線は、現在に何も残していませんでした。
なにしろ、すでに90年を超えた時間が過ぎています。
期待する方が無理です。

んで、歩いた写真を。


ここが潮見町。終点の川口貨物駅がある出来島町はすぐそこ。いかにも、他の道路を無視して斜めに突っ切っているのが、廃線跡らしい雰囲気。



上の画像の反対側。広々とした道路が走っております。



して、宮崎中学校付近の暗渠を斜めに横切っております。しかし、当然のことながら後年にできた暗渠優先。暗渠そのものは、上が遊歩道になっとります。



その反対側。小戸橋から降りた道路と、宮崎港へ向かう道路の交差点(昭和町)付近。しかしいずれの道路も、貨物線よりはるかに後年にできた若輩者(?)です。



さらに先に進んでも、特にこれといった発見はなし。



そして終点は、JR九州バスの車庫です。

宮崎市内では珍しい廃線跡ですが、時間が経過しすぎているために何も発見のない探訪となりました。  
タグ :廃線宮崎市


Posted by かるみっこ at 23:48Comments(0)鉄道