
2015年09月30日
師との別れ
私が師と仰ぐ方が一人、亡くなりました。
雲谷高原ユースホステルのマネージャー、いやペアレントの高塚一雄さんです。
彼との出会いは今から24年前に遡り、たまたま訪れたカワヨグリーンユースホステルで、当時ペアレントをしていたのが最初です。
その後何度も通うようになり、しまいには伝を頼って青森へ移住し、共に働くことになりました。
一緒に働くとなると、もちろん人間ですから、細い部分での衝突はありましたが、私としては学ぶことの多い方で、いろいろなものを吸収させていただきました。
その後、私は一般の会社へ勤め、彼は自分の夢を実現させるべく努力したのち、雲谷高原ユースホステルを開業。
自分の理想、自分の城を作って、さらなる夢へと邁進しているようでした。
時折、彼の宿のホームページ(http://moya.jp)を覗いてみては、充実したお仕事ぶりを拝見できてうれしく思ったものです。
それから十数年たち、いつしか、そのホームページもチェックしなくなって久しくなり。
同じく彼の下で働いていた仲間からの連絡で、氏がなくなったと。
慌ててホームページを見たら、今年(2015年)の2月末で閉館したとのこと。
半年以上、その動向を知らなかった自分自身に、怒りがこみ上げてきました。
できれば、一刻も早く彼の近くへ行き、最後の見送りをしたい。
しかし、宮崎からは遠すぎる。
もどかしい。
ここ数年で、親しい友人を亡くしたり、もと同僚を交通事故で亡くしたりしたけれども、今回はそれを上回るショックを受けました。
私にとって、おそらく人生の師だったからだと思います。
この想い、どうしたらいいだろう。
同時に、素敵だったであろう、あの雲谷高原ユースホステルは。そのままなくなってしまうのだろうか。
誰か意思を継ぐ方はいないのだろうか。
とにもかくにも残念です。
備忘録・http://blog.livedoor.jp/morinonakade/archives/2015-09.html
雲谷高原ユースホステルのマネージャー、いやペアレントの高塚一雄さんです。
彼との出会いは今から24年前に遡り、たまたま訪れたカワヨグリーンユースホステルで、当時ペアレントをしていたのが最初です。
その後何度も通うようになり、しまいには伝を頼って青森へ移住し、共に働くことになりました。
一緒に働くとなると、もちろん人間ですから、細い部分での衝突はありましたが、私としては学ぶことの多い方で、いろいろなものを吸収させていただきました。
その後、私は一般の会社へ勤め、彼は自分の夢を実現させるべく努力したのち、雲谷高原ユースホステルを開業。
自分の理想、自分の城を作って、さらなる夢へと邁進しているようでした。
時折、彼の宿のホームページ(http://moya.jp)を覗いてみては、充実したお仕事ぶりを拝見できてうれしく思ったものです。
それから十数年たち、いつしか、そのホームページもチェックしなくなって久しくなり。
同じく彼の下で働いていた仲間からの連絡で、氏がなくなったと。
慌ててホームページを見たら、今年(2015年)の2月末で閉館したとのこと。
半年以上、その動向を知らなかった自分自身に、怒りがこみ上げてきました。
できれば、一刻も早く彼の近くへ行き、最後の見送りをしたい。
しかし、宮崎からは遠すぎる。
もどかしい。
ここ数年で、親しい友人を亡くしたり、もと同僚を交通事故で亡くしたりしたけれども、今回はそれを上回るショックを受けました。
私にとって、おそらく人生の師だったからだと思います。
この想い、どうしたらいいだろう。
同時に、素敵だったであろう、あの雲谷高原ユースホステルは。そのままなくなってしまうのだろうか。
誰か意思を継ぐ方はいないのだろうか。
とにもかくにも残念です。
備忘録・http://blog.livedoor.jp/morinonakade/archives/2015-09.html