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Posted by みやchan運営事務局 at

2015年11月10日

夜行列車の思い出


私はそのとき、「はやぶさ」に乗って山陽本線を下っていた。東京から福岡へ帰る途中だった。

福岡出身で、なによりも地元に少しでも贔屓したい私は、東京への往復にいつも「あさかぜ」を使っていた。「あさかぜ」は、ブルートレインの第一号であり、その後全国に現れる寝台専用列車網を構築した立役者だ。「動くホテル」と呼ばれる、そんな由緒ある豪華列車の終着駅が、地元・博多であるというのも、ステータスを感じて非常にいい気分だった。
「さくら」「はやぶさ」「みずほ」など、青い寝台客車を十数両も連結したブルートレインが、毎日毎日、休むことなく、夕刻に東京を出発し、翌朝、博多を通ってそれぞれの目的地へ走っていく。そんな本数を運転するほどの需要が本当にあったのかどうか、今からでは想像もしにくいが、ともかく、当時は当たり前のように、ただ黙々と走っていた。
その中に、ダイヤとしてはいちばん最後の順番で「あさかぜ」も南へ向かっていた。博多での到着時刻は10時すぎだったと記憶している。というより、11時前だったから、もうお昼時といってもいい時間だった。ビジネスで使うには、少々不便なダイヤではないかと思う。が、それでも私はよく利用していた。

そんな私が「はやぶさ」に乗っていたのは、言うまでもなく「博多あさかぜ」の廃止が原因だった。ブルートレインのパイオニア、などと言われ、話題性のある車両を先駆けて取り入れるなどの経営努力もしている同列車だったから、しばらくは安泰なんじゃないか、と思っていた。だが、それが廃止されると聞いたとき、私は少なからず動揺した。できれば最後に乗っておきたい、と思った。しかしこの時、私は青森に住んでいて、おいそれと福岡へ行くこともできず、結果的に最後の「あさかぜ」に付き合うことはできなかった。

その後、しばらく経ち、ようやく長期休暇が取れたので、青森から東京を通って福岡へ帰る途中に乗ったのが、上記の「はやぶさ」だったのだ。

うららかな山陽路を西へ向かっている途中に、ふっと思った。
「いつかは、この『はやぶさ』も廃止になってしまうだろう……」
閑散期だったせいもあるが、車内はガラガラで、一両に数人しか乗っていなかった。
「何年後か分からないけど、こういう風に列車に揺られて、ただ車窓を眺めるだけで無為に過ごすという、そのことが『ぜいたく』になるかもしれない」
何の根拠もなくそんな思いが去来した。
それが今、寝台特急が全廃されてしまい、最後の砦である急行「はまなす」ももはや風前の灯火と聞くと、あの二十年以上前に「はやぶさ」車内で考えていたことが思い起こされ、今の私は絶句してしまう。

旅行の形態は、人それぞれだ。
観光地で目一杯見て回りたい人もいれば、ただ汽車に揺られているだけで至極の楽しみを味わえる人もいる。全国の市町村役場を訪問するなんてものも、立派な旅だし、ローカルバスで見知らぬ人と会話したいという人もいる。
しかしながら、効率化や高速化で、それまで全国にあったブルートレインがすべてなくなってしまい、あるのは富裕層相手の、豪華絢爛列車だけというのも、なんとなく物足りないと思う。
と文句をいいつつも、自分では何もできない無力さを悲しく思う。

可能であれば、また今度、「ブルートレインたらぎ」にでも泊まりに行きたい。

下の写真は、かつて宮崎にも走っていた「彗星」。
  

Posted by かるみっこ at 20:57Comments(2)日記鉄道

2015年09月30日

師との別れ

私が師と仰ぐ方が一人、亡くなりました。
雲谷高原ユースホステルのマネージャー、いやペアレントの高塚一雄さんです。

彼との出会いは今から24年前に遡り、たまたま訪れたカワヨグリーンユースホステルで、当時ペアレントをしていたのが最初です。
その後何度も通うようになり、しまいには伝を頼って青森へ移住し、共に働くことになりました。
一緒に働くとなると、もちろん人間ですから、細い部分での衝突はありましたが、私としては学ぶことの多い方で、いろいろなものを吸収させていただきました。
その後、私は一般の会社へ勤め、彼は自分の夢を実現させるべく努力したのち、雲谷高原ユースホステルを開業。
自分の理想、自分の城を作って、さらなる夢へと邁進しているようでした。

時折、彼の宿のホームページ(http://moya.jp)を覗いてみては、充実したお仕事ぶりを拝見できてうれしく思ったものです。

それから十数年たち、いつしか、そのホームページもチェックしなくなって久しくなり。
同じく彼の下で働いていた仲間からの連絡で、氏がなくなったと。
慌ててホームページを見たら、今年(2015年)の2月末で閉館したとのこと。
半年以上、その動向を知らなかった自分自身に、怒りがこみ上げてきました。

できれば、一刻も早く彼の近くへ行き、最後の見送りをしたい。
しかし、宮崎からは遠すぎる。
もどかしい。

ここ数年で、親しい友人を亡くしたり、もと同僚を交通事故で亡くしたりしたけれども、今回はそれを上回るショックを受けました。
私にとって、おそらく人生の師だったからだと思います。

この想い、どうしたらいいだろう。
同時に、素敵だったであろう、あの雲谷高原ユースホステルは。そのままなくなってしまうのだろうか。
誰か意思を継ぐ方はいないのだろうか。

とにもかくにも残念です。

備忘録・http://blog.livedoor.jp/morinonakade/archives/2015-09.html
  

Posted by かるみっこ at 01:25Comments(7)日記

2015年09月22日

テゲツーさんに掲載されました。

先日、宮崎てげてげ通信様より取材を受けました。
そして今回、それが記事になりました。(→あの宮崎弁スタンプを作った人に会ってみた【宮崎弁LINEスタンプ】
ぜひよろしければご覧ください。

併せてよろしくお願いいたします↓

日向夏とマンゴーの宮崎弁スタンプ Ver.2.0


日向夏とマンゴーの宮崎弁スタンプ


取材を受けたときは、ほぼ緊張のために何言ってるのかわからない状態で、帰ってきてから妻に「なんだか解説がまわりくどすぎてショップ店員みたい」と評されてしまいました。そうですね反省しとります。

とりあえずそんなところでお願いいたします。  

Posted by かるみっこ at 23:15Comments(0)日記LINEスタンプ

2015年05月30日

スマホで簡単に画像加工してみた

今まで、画像加工といえば、パソコンでPhotoshopなんかを使って、という堅苦しくてめんどくさいイメージが大きかったのですが、時代は大きく変わりましたね。スマホで手軽にできちゃうんです。といっても最近始まったわけではなく、もうみなさん、とっくにご存知のこととは思いますが(笑

iOSなどは、「写真」から簡単に編集できるようになっていますので、

こういった写真も、

カラー・コントラスト等を変更していけば、まるであの丸田祥三カメラマンのような雰囲気の写真に近づけます!
(え? 全然違います? そりゃそうですよ、あくまでも丸田先生"風"なんですから!)

また、webサービスでも、「幕末写真ジェネレーター」などを使用すると、

普通の写真が、


まるで明治時代のようですね!

また、ちょっと高度なものとして、Pics Artなどを使えばエッジを強調したCOMIC調加工もできますし、さらにそこからSnapseedを使ってコントラストなどを調整すると、

これが

こんな風になって、ぱっと見イラストです!

パソコン(特にWindows)でも、こういった手軽なアプリがあればいいのになぁと思う今日このごろ。  

Posted by かるみっこ at 22:33Comments(0)日記鉄道

2015年03月02日

期間限定★うまかっちゃん『辛口』

実はワタシ、子供の頃からインスタントラーメン大好きでした。

「将来はラーメン屋になって、じいちゃんの家まで屋台を引っ張ってくる!」

などと意味不明なことを言う、向こう見ずな少年時代も過ごしています(ちなみにそれを宣言した年齢は、ちょうど今のワタシの長男くらいの頃でした)。
しかし、そういう性格を危惧したのか、母はしきりとワタシに
「普通のサラリーマンになって、毎月きちんと給料・ボーナスをもらえる人生を送りなさい」
と事あるごとに言っており、その甲斐あって、今は普通のサラリーマンをしていて、給料と(わずかな)ボーナスをもらっております。母の言いつけというのは、かように子供心に影響を与えるものとして、学会でも注目されてい……ません。

まぁ、そんなヘタレなワタシが、子供の頃好きだったのは、サッポロ一番の「しょうゆラーメン」でした。

どちらかというと、ハウスから出ていた「うまかっちゃん」は、当時珍しい「とんこつ味」ではあったものの、味はどこの店のとんこつラーメンとも似ておらず、「うまかっちゃん」という福岡チックなネーミングも合わせて、あんまり好きになれませんでした(※)。

で、しばらくしていくつかバリエーションが出てくるのですが、初期に存在していた「辛口」は、かなりインパクトがあり、「辛いもの大好き」だった少年時代のワタシには、どストライクな商品でした。

しかし時代は流れ、いつの間にかラインナップを外れてしまい、その後訪れるインスタントラーメンのモデルチェンジ競争の激流に飲まれてしまって、ワタシもその存在をすっかり忘れておりました。

ところが、2015年にこいつが復刻するというではないか!(→こちら

こいつは買うしかない、と思いつつ、すでに3月になっておりました。
近所のスーパーをいくつか回っても、なぜか品がなく、ようやく5件目の店で発見。なんとかゲットできました。

ブツはこれ。


5個パックのみの発売とのこと。もしかして個別パッケージは簡易版かな、などと思ったけど、普通でした。


『辛口』で目を引くのが、この「辛味ペースト」。以前は、普通の笑顔と辛い表情の顔マーク、そして5段階の目盛りが刻んでいたのですが、今回はそんなのナシです。
「うまかっちゃん『辛口』マニアなら、当然全部ぶち込むんだろ? そんなもん必要ねぇよな?」と思ったのか思わなかったのか(笑



ボワっと鍋に。


3分で出来上がり。辛味ペーストをかけて出来上がりっす。


味はやはり、当時そのもので変わりなし。ペーストを投下したときの、あの懐かしい匂いと、一口食べたときの、あの懐かしい味と辛さは健在でございました。
中学~高校生の頃、夜食としてよく食べていたのですが、そのとき父から「そんなもんばっかり食ってると肝臓悪くするぞ」と忠告されました……はい、今、確かに肝臓悪くしております(笑)。でも、これは決して辛いものを食べ過ぎたわけではなく、アナタと同じアルコールの飲み過ぎです。それにしても、父は毎日かなりの量を飲酒していたのに、命取りになった病気は肝臓系じゃなかったことを考えると、なんて頑丈なヒトだったのでしょうと、驚きを覚えます。


(※)福岡系のネーミングって、こういう方言ものが多いんですよね。そして福岡にずっと住んでいたワタシとしては、「なんか田舎くさい」という意味であんまり好きではありませんでした。最近では都会的イメージとして、九州・山口から熱い視線を注がれている福岡ですが、今でも「はやかけん」なるネーミングが出てくるあたり、やはり当時とあんまり変わってないなぁと思います。今ではいい思い出です(笑  

Posted by かるみっこ at 13:47Comments(0)日記