2013年01月19日
星倉隧道
今回は超小ネタなのでシンプルに行きます。
こちらのエントリで、「80年近く経過した地方の鉄道路線は、その跡を辿ることさえ絶望的」などと偉そうに語った宮崎県営鉄道・飫肥線ではあるが、最大の遺構がひとつだけ残っている。
いや、厳密に言えば、「残っていた……跡を利用した」というのが正しいのかもしれない。
それが、星倉隧道。

周辺地図。飫肥駅からほど近い場所にある。
○のついている場所が星倉隧道で、そこから西へ行った「星倉三丁目」交差点付近が、旧星倉駅(らしい)。
この星倉線は、木材運搬を目的とした軌道線で、星倉から北郷町の大藤付近まで走っていた。
このトンネルは、北郷から日南市の益安付近まで続いている低い丘陵をくぐるためのものであり、軌道が廃止になった後も、道路用として重宝されたようだ。昭和43年に拡幅しており、トンネル銘板には隧道名と竣工年が記されている。なお竣工年は、「拡幅完了時」のことらしい。

こちらは飫肥(星倉)側、そして、

こちらが大藤(北郷)側である。
拡幅されているうえに、照明もついているので、言われなければ全く気づかないが、何らかの案内があればなぁと思う。
※このトンネルは、「くろ」様のご教示によりその存在を知りました。ここでお礼申し上げます。
こちらのエントリで、「80年近く経過した地方の鉄道路線は、その跡を辿ることさえ絶望的」などと偉そうに語った宮崎県営鉄道・飫肥線ではあるが、最大の遺構がひとつだけ残っている。
いや、厳密に言えば、「残っていた……跡を利用した」というのが正しいのかもしれない。
それが、星倉隧道。

周辺地図。飫肥駅からほど近い場所にある。
○のついている場所が星倉隧道で、そこから西へ行った「星倉三丁目」交差点付近が、旧星倉駅(らしい)。
この星倉線は、木材運搬を目的とした軌道線で、星倉から北郷町の大藤付近まで走っていた。
このトンネルは、北郷から日南市の益安付近まで続いている低い丘陵をくぐるためのものであり、軌道が廃止になった後も、道路用として重宝されたようだ。昭和43年に拡幅しており、トンネル銘板には隧道名と竣工年が記されている。なお竣工年は、「拡幅完了時」のことらしい。

こちらは飫肥(星倉)側、そして、

こちらが大藤(北郷)側である。
拡幅されているうえに、照明もついているので、言われなければ全く気づかないが、何らかの案内があればなぁと思う。
※このトンネルは、「くろ」様のご教示によりその存在を知りました。ここでお礼申し上げます。
Posted by かるみっこ at 21:47│Comments(2)
│道路
この記事へのコメント
確かこのまま行くと日南線にぶつかって行き止まりだったなあ。あの時、自分も初めて通ったのです(笑)
Posted by くろ at 2013年01月19日 23:53
おー
初めてであの場所に行けたのはなかなかすごいですよ
初めてであの場所に行けたのはなかなかすごいですよ
Posted by かるみっこ
at 2013年01月20日 20:43
