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Posted by みやchan運営事務局 at

2013年01月27日

続々・県道28号線・日南高岡線の謎

以前このエントリで書いた話なのだが、……

1/27現在、どうやらこの「50」という速度規制の標示が「消されて」いるようである。


上の画像を見て、
「えっ全然消えてねぇじゃん」
と思うかもしれないが、過去に道路工事関係をかじったことがある人から見れば、明らかにこれは「消す」行為である。
暗い場所でヘッドライトを頼りに見ているので、標示が目立ってはいるが、明るい場所であれば、かなり標示が薄くなっており、そのまま時間が経てば消えていくのだ。……たぶん。

やっぱり、標示が間違えていたのか?
なお、件のエントリでは、「問い合わせてみる」云々とコメントをつけたワタシであるが、忙しかったためにそれを行うことはできなかった。

ということは、エントリ以前から実は気づいていて、ようやく今年それを消すつもりだったのか、
あるいは、このブログを誰かが見て、通報してくれた……?

真相は藪の中である笑

ともあれ、関係者の方々は大変お疲れさまでした。
もしこのブログが影響していたら、まずはお詫び申し上げます。  

Posted by かるみっこ at 22:31Comments(2)道路

2013年01月19日

星倉隧道

今回は超小ネタなのでシンプルに行きます。

こちらのエントリで、「80年近く経過した地方の鉄道路線は、その跡を辿ることさえ絶望的」などと偉そうに語った宮崎県営鉄道・飫肥線ではあるが、最大の遺構がひとつだけ残っている。
いや、厳密に言えば、「残っていた……跡を利用した」というのが正しいのかもしれない。

それが、星倉隧道。


周辺地図。飫肥駅からほど近い場所にある。
○のついている場所が星倉隧道で、そこから西へ行った「星倉三丁目」交差点付近が、旧星倉駅(らしい)。
この星倉線は、木材運搬を目的とした軌道線で、星倉から北郷町の大藤付近まで走っていた。
このトンネルは、北郷から日南市の益安付近まで続いている低い丘陵をくぐるためのものであり、軌道が廃止になった後も、道路用として重宝されたようだ。昭和43年に拡幅しており、トンネル銘板には隧道名と竣工年が記されている。なお竣工年は、「拡幅完了時」のことらしい。


こちらは飫肥(星倉)側、そして、


こちらが大藤(北郷)側である。

拡幅されているうえに、照明もついているので、言われなければ全く気づかないが、何らかの案内があればなぁと思う。

※このトンネルは、「くろ」様のご教示によりその存在を知りました。ここでお礼申し上げます。  

Posted by かるみっこ at 21:47Comments(2)道路

2013年01月18日

大塚の謎

なんだか日南系のネタが多かったので、今回は宮崎市内の話でも。

以前、とある用事のために、住宅地図を眺めていたところ、大塚町にすごく不思議な道をハケーンした。
↑まずは広域で位置を把握して、

↓続いてこちらが拡大。

おおっ! なんなんだこの住宅街に現れた、「謎のロータリー」!
ごく普通のありふれた町並みに突如姿を表す、存在価値がイマイチよく分からない「住宅街ロータリー」……。

と、ここで唐突ではあるが、アナタの年齢が30~40代であれば、「住宅街ロータリー」といえばこのアニメが思い浮かばないだろうか。


「耳をすませば」

1995年スタジオジブリ。ジブリの作品だから話題にならないはずはないが、どうも展開が地味すぎたのか、イマイチ低い評価しか聞かない。しかし、その世界観には、多くの人が魅了されたと思う。たぶん。
その映画の中に、「地球屋」という雑貨店が登場する。主人公の女子中学生、月島雫が、ここで人生を変えるほどの大きな出会いと影響を受けるのだが、その「地球屋」は、住宅街のロータリーの一角にある。

右にちらりと写っているのが、ロータリーの中心点である。

宮崎にいながらにして、すわ「耳すま」を体験できるのか!?
などといらぬ予感に心を踊らせて現地に行ってみた。
ただ、念のため、訪問する前に航空写真で見てみた。


地球屋、ないし。
それに地球屋の裏は断崖だったけど、ここ違うし。

……などと不満を言っても仕方ない。あちらは東京、こちらは宮崎なのだ。

や、何を意味不明に期待してるんだろうワタシ。
とりあえず、こんな不思議なロータリーだけでもワクワクもんだが。

ということで、現地。

ん? 平地かと思っていたが、ロータリー入口がすこし勾配になっている?
であれば、ちょっと高い場所にロータリーがあって、そしてそこに地球屋があってその裏はもちろん見晴らしがいいその先はどうなってるんだろう。

これがロータリー。これといった特徴がないのだが、住宅街の真ん中になぜあるのだろう?

いちおう日本はクルマが左側通行なので、左から入ってみる。
ああ、こここそ、↑のアニメで出てきている

地球屋のコレに位置がそっくり!(笑

でもそう考えると、地球屋ってでっかいのね。軽く家3軒分くらいあるし。

まぁ、ちょっと予想は外れたけど、ヨシです。
で、これは一体何なのか?
……実は知らない(笑
大塚というくらいだから、古墳跡か何かかと思ったけど、なーんにも記されていない。
しかし、円形、かつ、ここだけ起伏があることを考えると、古墳であっても不思議じゃない感じはする。


というわけで足あとペタリ(ロータリー入口にあったやつ)。  続きを読む

Posted by かるみっこ at 16:58Comments(0)道路

2013年01月15日

続・日南高岡線

これの続き……といっても今回はかなりの小ネタです。

以前にも書いた通り、この県道28号線「日南高岡線」は大幅に改良され、改良区間に並行して旧道が走っているのがちらほら見える。一部では九電のメンテナンス用道路へ転用されていて一般車通行止の場所などもあり、すべてをトレースすることはできないが、眺めるだけでも「改良前」の、狭隘区間を想像できて、なかなか楽しい。

さて、宮崎方面から坂を登り、道の駅・田野を過ぎて、いよいよ峠を越えた……さぁこれから下り坂という所で、車窓右側で唐突にその姿を現すのが

オウ!エキサイティング!!
こんな所に、地図に載らない廃道が……ある!
忘れ去られたように立っている標識がナウい!
……閑話休題。


んでもって地図。

ええ、ネットで検索できる地図では、もう全く道などナシ。
(ちなみに、「"ブツ"の位置」のすぐ傍から分岐し、北東へ向かっているのは県道340号・清武大戸野線で、写真の場所から200mほど下った場所から分岐)
こりゃ廃道の香りがプンプンしますぜ!
……と、煽るだけ煽っているけれど、見る人が見たら一発で
「ただの資材置き場だよ!」
と突っ込まれる。ええ左側にデンと大きなコンクリートブロックが置かれているし、実は写っていないんだけど、さらにその左にも、同じように「あっち向いた標識」が立っている。標識をよーく見て見ると、下の方にコンクリートブロックの基礎が見える。「移動できる標識」なのだ。

となると、「コレ」が何なのか、だいたい想像できる。
裏に回ってみると、

はい通行止め~
どうやら最近、「通行止」に好かれているようなワタシである。
人生もはや通行止め、というワケじゃないとは思うのだが……

実際この地に立ってみると、目の前に法面のコンクリート石垣が迫っているのが見え、

この先に道などあろうはずもないことが、即座に理解できるのだが、いわゆる「なんとなく廃道っぽい」というイメージを味わうには、いいかもしんない。(私を含む)素人廃道ファンに対し、「ほらほらこれが謎の廃道だよ~ん」と騙すことができるのだ。

終了!


……といいたい所なんだけど、改めて考えてみると、
「あの通行止の標識はどこから持ってきたんだ?」
という素朴な疑問がわく。
いや、「捨てられた」と考えれば、別に疑問でもないけど、放置するにしては、標識以外に何もない。普通、そういうズボラな業者の場合、標識だけでなく工事の看板(「○○をやっています」とか「100m先工事中」とか)や、門型バリアなども平気で置いていくだろう。「通行止」だけを置いていくのはどうも解せない。
それに加え、あの「石垣」。そこそこ高く、立派なものである。ここは峠であり、そんな所に、道路から15mほど離れた場所に法面など必要なんだろうか?

……と思って、改めて地図を見て、航空写真を見てみると……

ん?

道がある!


といっても、あの「通行止」のある広場の、まだ少し上(北側)ではあるのだが……
今では、日南高岡線からこの道(林道?)へはアクセスできない。ただし、その目の前(上の写真では、県道を挟んで左側)は現在も使用されており、つい最近も周囲の伐採が行われてるし、たまに警備員らしき人の姿も見られる。
もしかして、日南高岡線が改良されるまでは、この林道は1本の道じゃなかったんだろうか?
それを分かりやすくしてみたのが次の画像。

なんか強引な感じだ(笑

ひょっとすると、この日南高岡線が改良・開通した頃、林道はすでに使われなくなっており、一般車が間違って入らないように、それぞれの入口に「通行止」の標識を設置したのではないか。
使われなくなったといっても、定期的な植栽の手入れや、将来的な伐採、植林のために、再び使用することもある。林道とはそういう運命なんだろう。
だから永久に設置するタイプの標識ではなく、下にコンクリートブロックのついた「移動式」の標識が使用されたのではないかと思う。
ただ、片方(左側)は使用再開したため撤去、もう片方(右側)は廃されて久しく、入口もほとんど潰れているので放置……ということなのかもしれない。完全に憶測だが。

ということで
「廃道か!?」
「いやネタとしてはいいけどただの資材置場だ」
「いんや実は……」
……と、ここで現在思考停止中なう、なのだ。

そして全く関係なくなるハナシはこの↓から。

  続きを読む

Posted by かるみっこ at 08:02Comments(0)道路

2013年01月14日

山仮屋隧道

先日のエントリで日南高岡線について(少し)書いたので、今回はそこでも触れた、県道宮崎北郷線の「山仮屋隧道」についても書いておきたい。
あまり知られていないが、宮崎で最初の「道路トンネル」である。県道27号線のそばにある。

県道27号・宮崎北郷線は、旧「飫肥街道」をほぼそのまんまトレースしており、徒歩で踏破すればかつての参勤交代時代を満喫できる道路として今日人気がある(……わけない)。自動車時代になる以前までは、宮崎県初の隧道を擁するなど改良の跡が見られるが、なぜか、それ以降は完全に見捨てられたような存在になっており、地元車またはアウトドア好きの通行車以外はなかなか見られないのが現状である。(注:ただし、最近の一部区間では工事車両も多く存在する)

しかも、先述の県道28号線・日南高岡線が改良され、宮崎(およびそれ以北)と日南・飫肥地区を結ぶメインルートとなると、完全に主役の座を奪われてしまう。県民向けには完全に蛇足だが、とりあえずその位置関係を示すと、

こんな感じである。
末端では「谷合」という、名が体を現すようなバス停のある、谷間の小集落で日南高岡線と合流し、あろうことかそこで宮崎北郷線の「飫肥街道」は終了する。もちろん、ここから先の県道28号線も、旧「飫肥街道」である。

さて、目指す山仮屋隧道であるが、厳密に言えば、宮崎北郷線には存在しない。

以前、知人に
「このあたりに古いトンネルがあるよ」
と適当な紹介をしたが、「行ったけどわからなかった」と言われたことがある。
それもそのはず、トンネル近くのルートが開削され、この宮崎北郷線としては珍しい2車線道路となり、一気に峠をパスできるような場所になった。もちろん先人の功に敬意を表して、「山仮屋隧道」の標柱は立っているが、どうも見落としがちである。

ただ私も、一度見落とした経緯があるから「仕方ない」とはいえないが、結構このトンネル、「意外な」所にある。
google mapやyahoo地図では、もはやその姿が見られないので、ぞれぞれの航空(衛星)写真で見てみると

↑クリックすると拡大

見えますか?

解説つき↓

↑クリックすると拡大

なぜか、「わざわざ寄った」ような位置に存在するのである。

もちろんこれは、隣の切り通し開削後の、現代人の視点から見ているので、「わざわざ寄った」という姿に見えるのだが、かつて、工事のための機材も技術も乏しかった時代、山を切り開き、ようやく見つけた鞍部付近に、必死の思いでトンネルを造ったことは想像に難くない。実際、上の写真では、このトンネルの前後に古道とおぼしき筋がうっすらとつながっているのが見える。トンネルだけでなく、その前後の道路も大幅に改良されたのだ。
しかし、と思う。
このトンネルには、大阪の堺から取り寄せたレンガが使われている、と案内看板に書かれている。短いトンネルではあるが、膨大なレンガが必要だったのではないかと思うが、そこまでやってトンネルを造る必要があったのだろうかと思えてならない。その資金と手間を考えると、鞍部をオープンカットした方が良かったのではないかと思う。

この意識のズレは恐ろしいと思う。現代人が、過去の人々の苦労を想像できないのがその要因だが、歴史を見るうえでの「現代の尺度」は危険な物差しである。

自分の思慮のなさを反省したところで、いざ本体である。

こちらは飫肥側。トンネル周囲の木々の織りなす姿がただならぬ歴史を感じる。
訪問当日(2012.1.13)は雨。周囲は霧が出ており、写真よりもまだ暗く、荘厳な雰囲気に包まれていた。
明治隧道なのに、やたらと背が高い。馬車や人力車くらいが相手だったはずなのに、(1車線分しかないが)現代のトラックでも通行可能な高さである。

ただ、残念なことに、というか、なぜか

えっ? 通行止め?
別に補修やってたり、工事を行なっている雰囲気ではないのだが……
ま、それほど通行の必要性のないトンネルだし、万が一、「阿修羅参上!」などと落書きされても困るし(ここまで登ってきて書く人もいないと思うけど)

一応、

切り通しの横には隧道の標柱があり、同時にここは、付近を通る東九州自動車道の工事車両入口になっている。だから平日はトラックと遭遇する可能性が高い。

これは隧道入口すぐ横にある工事看板。この左に目をやると明治隧道(一番上のトンネル入口写真)。そのギャップが激しい。

トンネル内部に入って見たいものの「通行止」だから仕方ない。ただ、「別に入ってもいいよ」というようなA型バリアなので、その気になれば徒歩で入ることは可能だが、それ以上に今回侵入を見送ったのは、その「ただならぬ雰囲気」であり、雨天&森林で暗く、かつそこに存在する「明治の遺構」の迫力に押されて、素直に「通行止」に従った。というより、寒かったんだよね……(笑)子供も一緒にいたし。

そしてこのトンネルの案内が、宮崎側に立っている。

案内文をここに紹介して、この項を終わりたい。

「山仮屋隧道は県内初の道路トンネルである。このトンネルは、宮崎飫肥間を結ぶ県道(現在の県道宮崎北郷線)の開設に伴い建設された。宮崎清武間の開通は明治20年頃で、明治23年には山仮屋への道路開削が始まった。宮崎山仮屋間の県道開通は明治25年である。
一方、飫肥山仮屋間も明治25年に一部を残してほぼ開通しており、明治27年頃には宮崎飫肥間の全線が開通している。山仮屋隧道の工事は明治24年に着工し、翌年の明治25年に完成している。
トンネル内部の覆工には、大阪の堺から取り寄せた良質の煉瓦が仕様されており、側壁部にはイギリスの手法、アーチには長手積みの手法が採用されている。これらの技術は当時の最先端の土木技術であり、貴重な資料である。トンネルは内部の高さが約4.3m、トンネル幅約4.8m、道路幅員約3.8m、長さが約56mである。
山仮屋隧道が建設された時期は、ちょうど人力車や客馬車が各地に普及し交通機関としての重要性が増してきた時期であり、近代日本の交通事情の変革期であった。宮崎飫肥間の県道開設とそれに伴う山仮屋隧道の建設は、それまでの既存の交通体系の変革という意味において、近代日本の交通史を考える上で重要な意味を持つものである。」
  

Posted by かるみっこ at 07:35Comments(1)道路