
2015年05月30日
スマホで簡単に画像加工してみた
今まで、画像加工といえば、パソコンでPhotoshopなんかを使って、という堅苦しくてめんどくさいイメージが大きかったのですが、時代は大きく変わりましたね。スマホで手軽にできちゃうんです。といっても最近始まったわけではなく、もうみなさん、とっくにご存知のこととは思いますが(笑
iOSなどは、「写真」から簡単に編集できるようになっていますので、

こういった写真も、

カラー・コントラスト等を変更していけば、まるであの丸田祥三カメラマンのような雰囲気の写真に近づけます!
(え? 全然違います? そりゃそうですよ、あくまでも丸田先生"風"なんですから!)
また、webサービスでも、「幕末写真ジェネレーター」などを使用すると、

普通の写真が、

まるで明治時代のようですね!
また、ちょっと高度なものとして、Pics Artなどを使えばエッジを強調したCOMIC調加工もできますし、さらにそこからSnapseedを使ってコントラストなどを調整すると、

これが

こんな風になって、ぱっと見イラストです!
パソコン(特にWindows)でも、こういった手軽なアプリがあればいいのになぁと思う今日このごろ。
iOSなどは、「写真」から簡単に編集できるようになっていますので、

こういった写真も、

カラー・コントラスト等を変更していけば、まるであの丸田祥三カメラマンのような雰囲気の写真に近づけます!
(え? 全然違います? そりゃそうですよ、あくまでも丸田先生"風"なんですから!)
また、webサービスでも、「幕末写真ジェネレーター」などを使用すると、

普通の写真が、

まるで明治時代のようですね!
また、ちょっと高度なものとして、Pics Artなどを使えばエッジを強調したCOMIC調加工もできますし、さらにそこからSnapseedを使ってコントラストなどを調整すると、

これが

こんな風になって、ぱっと見イラストです!
パソコン(特にWindows)でも、こういった手軽なアプリがあればいいのになぁと思う今日このごろ。
2015年05月28日
串間駅前に路面電車現る!
本日5月28日、はるばる広島から、串間駅前に路面電車がやって来ました。

広島市内を走っていた750形電車というそうです。
クリーム+茶色という塗装が、かつて全国に路面電車が走っていた頃の姿を彷彿とさせ、なかなかレトロな雰囲気ですね。
なぜ串間とほとんど関係のない路面電車なのか、は残念ながら不明なのですが、しかし鉄道関係のモニュメントが増えるのは、ファンとして楽しいものでもありますし、かつて以前、日南線そのものの存続に疑問が投げかけられたこともありますから、素直に歓迎すべきでしょうね。
搬入段階では、まだ「PASPY」のマークや現地の広告などを掲示した段階で、方向幕も「広電前」となっていました。

こういった展示の場合、下回りは省略し、車体のみをガンと置いてそれだけ、という例も多いのですが、こちらはしっかりと台車まで揃っておりました。
搬入の様子は、NHKとかUMK(※直リンクできないので5/28を選択してください)でも見られます。
これからの構想としては、内装工事を施した後に、観光案内所あるいはカフェなどを検討しているようです。
ただし、半年くらいはこのままで、後に1年かけて工事をするということですので、そのままの姿を見たい方はお早めに、ということでしょう。
有効活用できればいいですね。
珍しいものが来たということで見物客もちらほらと。

なお、設置場所はこのあたりです。

現地付近の地図はこちらから。
ま、でもすぐに分かりますねこれ(笑

広島市内を走っていた750形電車というそうです。
クリーム+茶色という塗装が、かつて全国に路面電車が走っていた頃の姿を彷彿とさせ、なかなかレトロな雰囲気ですね。
なぜ串間とほとんど関係のない路面電車なのか、は残念ながら不明なのですが、しかし鉄道関係のモニュメントが増えるのは、ファンとして楽しいものでもありますし、かつて以前、日南線そのものの存続に疑問が投げかけられたこともありますから、素直に歓迎すべきでしょうね。
搬入段階では、まだ「PASPY」のマークや現地の広告などを掲示した段階で、方向幕も「広電前」となっていました。

こういった展示の場合、下回りは省略し、車体のみをガンと置いてそれだけ、という例も多いのですが、こちらはしっかりと台車まで揃っておりました。
搬入の様子は、NHKとかUMK(※直リンクできないので5/28を選択してください)でも見られます。
これからの構想としては、内装工事を施した後に、観光案内所あるいはカフェなどを検討しているようです。
ただし、半年くらいはこのままで、後に1年かけて工事をするということですので、そのままの姿を見たい方はお早めに、ということでしょう。
有効活用できればいいですね。
珍しいものが来たということで見物客もちらほらと。

なお、設置場所はこのあたりです。

現地付近の地図はこちらから。
ま、でもすぐに分かりますねこれ(笑
2015年03月30日
485系の古い写真
せっかく、イメージモチーフが国鉄時代のスタンプを出したので

このあたりで、往時を振り返ってみたいと思います。
なおワタシは福岡出身で、二十歳になって東京に出るまで、ずっとそこに住んでいた関係で、撮影場所は主に福岡近辺です。
「宮崎と関係ないじゃん」と思うかもしれませんが、ところがどっこい。当時はまだまだ、福岡-宮崎は鉄道が主役でした。

みなさんご存知、L特急「にちりん」。フチに記された「FUJICOLOR ∞83」という文字が、団塊ジュニア世代には涙モノではないでしょうか(※)。
さすがに、もう食堂車こそありませんが、7両編成というその姿は堂々としていました。
遠くのホームにも485系が停まってます。この当時、博多駅には、長崎・佐世保・熊本・鹿児島・宮崎など、各方面へ走る485系が、ボンネット・貫通型・非貫通型問わずに溢れていて、今のヤング読者から見れば、ヨダレがでるほど羨ましい風景なのかもしれません。
しかし、当時のヤング読者のワタシとしては、「どこへ行っても485系」「どこへ行ってもキハ58」「どこまで行っても415系・475系の顔」であって、特に特急・急行の、あのベージュとクリームの2色は、もはや満腹感しかない状態でした。
もし、当時のワタシが "2015年現在" の博多駅へ行き、様々な特急や九州新幹線を見ると、現在のファンが国鉄時代を目の当たりにするのと同じくらいに興奮しまくることでしょうね。
隣の芝生は永遠に青いものです。
もう一つは、今でも現役のコレ。

713系デビュー時の試乗会です。
昭和59年、1984年ですから、もう30年以上前の話なんですねぇ……
新聞に告知が載って、国鉄へ往復はがきで申し込むという、今から見れば牧歌的なイベントでした。
ちなみに713系は、ご存知の通り、しばらく長崎本線を走ったあと、宮崎へ送り込まれて魔改造され、真っ赤っ赤+レタリング+特急車両の座席装備となり、それでもなぜか「国鉄試作車」の象徴である「900番台」を名乗っていましたが、5年ほど前に「0番台」へ変更され、今ではシングルアームパンタを搭載して、宮崎を走っています。
北九州近郊を走りまくったお古が宮崎へ回ってくる、というのは、今も昔も同じなのですが、現在宮崎の主役となっているCTこと817系に比べて乗り心地はよく、実はこの車両が好きだという人は多いです、はい。
といってもわずか4編成8両しか存在しないので、ほとんど宮崎地区専用モデル、なのです。
(※)注釈は以下の追記に。 続きを読む

このあたりで、往時を振り返ってみたいと思います。
なおワタシは福岡出身で、二十歳になって東京に出るまで、ずっとそこに住んでいた関係で、撮影場所は主に福岡近辺です。
「宮崎と関係ないじゃん」と思うかもしれませんが、ところがどっこい。当時はまだまだ、福岡-宮崎は鉄道が主役でした。

みなさんご存知、L特急「にちりん」。フチに記された「FUJICOLOR ∞83」という文字が、団塊ジュニア世代には涙モノではないでしょうか(※)。
さすがに、もう食堂車こそありませんが、7両編成というその姿は堂々としていました。
遠くのホームにも485系が停まってます。この当時、博多駅には、長崎・佐世保・熊本・鹿児島・宮崎など、各方面へ走る485系が、ボンネット・貫通型・非貫通型問わずに溢れていて、今のヤング読者から見れば、ヨダレがでるほど羨ましい風景なのかもしれません。
しかし、当時のヤング読者のワタシとしては、「どこへ行っても485系」「どこへ行ってもキハ58」「どこまで行っても415系・475系の顔」であって、特に特急・急行の、あのベージュとクリームの2色は、もはや満腹感しかない状態でした。
もし、当時のワタシが "2015年現在" の博多駅へ行き、様々な特急や九州新幹線を見ると、現在のファンが国鉄時代を目の当たりにするのと同じくらいに興奮しまくることでしょうね。
隣の芝生は永遠に青いものです。
もう一つは、今でも現役のコレ。

713系デビュー時の試乗会です。
昭和59年、1984年ですから、もう30年以上前の話なんですねぇ……
新聞に告知が載って、国鉄へ往復はがきで申し込むという、今から見れば牧歌的なイベントでした。
ちなみに713系は、ご存知の通り、しばらく長崎本線を走ったあと、宮崎へ送り込まれて魔改造され、真っ赤っ赤+レタリング+特急車両の座席装備となり、それでもなぜか「国鉄試作車」の象徴である「900番台」を名乗っていましたが、5年ほど前に「0番台」へ変更され、今ではシングルアームパンタを搭載して、宮崎を走っています。
北九州近郊を走りまくったお古が宮崎へ回ってくる、というのは、今も昔も同じなのですが、現在宮崎の主役となっているCTこと817系に比べて乗り心地はよく、実はこの車両が好きだという人は多いです、はい。
といってもわずか4編成8両しか存在しないので、ほとんど宮崎地区専用モデル、なのです。
(※)注釈は以下の追記に。 続きを読む
2015年03月26日
鉄道擬人スタンプ発売開始(LINEスタンプ)

このたび、ようやく発売開始になりました!

「鉄道擬人スタンプ・モハちゃん」です。
スタンプのイメージとしては以下のとおりです。


今回は、国鉄時代の優等列車として活躍した、485系特急形電車と、457・475系急行形電車をモチーフとして擬人化しています。
画像の大きさの関係上、細かい部分は再現していないので、「なんとなく」雰囲気だけわかっていただければ幸いです。
人物以外にも、一部ですが、国鉄時代に活躍した車両も登場しています。
キハ55、キハ35(36)、キハ02、591系試作車、クモル23050の5つです。
一般の方が使うというより、明らかに鉄道ファン向けの内容なので、一部で「ウヤ」とか「抑止」などの言葉も入れています。
2015年02月08日
気動車
まだJRが国鉄だった頃、全国の鉄道ネットワークは今よりもはるかに充実していました。
「JRに民営化されたため鉄道路線が少なくなった」というより、単純に、当時まだ自動車が高価なものであって、一家に一台あるかないか、という時代だったから、移動手段がバスか鉄道しかなかったためなのでしょう。
今では日南線が、宮崎から長いヒゲのように志布志までつながっているだけで、それから先は空白地帯になっていますが、もちろんこの先にも志布志線や大隅線が、都城や鹿屋方面、そして国分まで繋がっていました。
その頃、この地域を走っていたのが、下のような車両です。

左から、キハ17、キハ26(55系)、キハ52(20系)
いずれも、北海道を除くほぼ全国を走っていたディーゼルカーで、宮崎・鹿児島だけという車両ではありませんが、この近辺を走っていた異色の車両が、中央の「キハ26」です。
この写真からではすごく分かりづらいのですが、実はこれ、もともと「キロ25」という車両で、グリーン車でした。
キハ55系はそもそも、急行列車専用として製造されたのですが、後にキハ58系が登場し、それが冷房化されると、冷房もなく旧式のキハ55系はそれぞれ普通列車用として使われることになります。田舎を走る普通列車にグリーン車などは不要なので、そのまま普通車化されるのですが、座席を載せ替えるのにも費用がかかるため、設備は改造なしとなり、結果として、「乗り合わせたらラッキー」という車両として鉄道ファンらから珍重されました。
昭和50年台には、すでに全国区からキハ17は消えかけていたのですが、宮崎近辺ではいまだ現役でした。いつもそうですが、基本、宮崎近辺は古い車両が集まります。しかし、何故かマニアから注目されることはなく、廃車寸前まで、訪れる人も少ないです。
一方、その頃福岡ではどうだったかというと。

左からキハ66、キハ23、キハ35
キハ66系などは北九州専用車両なので、主に吉塚以北で運用されていました。すぐ隣の博多駅にすら姿を見せない不思議な存在でした。
もともと、新幹線が博多駅まで開通し、その客を筑豊各都市まで運ぶ目的で設計され、しかも車内は新幹線と同じイメージの転換クロスシートを装備するという豪華車両だったのにも拘らず、博多駅に乗り入れしなかった(できなかった)理由は単純で、吉塚~博多駅間の線路容量が不足したためです。平成3年にその問題が解決するまで、大部分の列車は吉塚留まりでした。
そのため、足繁く博多駅に通っていたワタシでも、キハ66を見かけたのはしばらく経ってからでした。
キハ66に乗って筑豊へ行くと、キハ23という少数車両に出会うこともありました。キハ20の新型として製造されつつも需要が少なく、あまり造られずに終わった型式です。
キハ35は主に筑肥線や筑豊各線などの、利用客が多い場所を好んで走って(?)いましたが、それ以外の地域では、ロングシートというのもあって、利用客からはあまり歓迎されていないようでした。消滅した今となっては、なんともうらやましい話です。ただしファンの目線では、ですけどね。
「JRに民営化されたため鉄道路線が少なくなった」というより、単純に、当時まだ自動車が高価なものであって、一家に一台あるかないか、という時代だったから、移動手段がバスか鉄道しかなかったためなのでしょう。
今では日南線が、宮崎から長いヒゲのように志布志までつながっているだけで、それから先は空白地帯になっていますが、もちろんこの先にも志布志線や大隅線が、都城や鹿屋方面、そして国分まで繋がっていました。
その頃、この地域を走っていたのが、下のような車両です。
左から、キハ17、キハ26(55系)、キハ52(20系)
いずれも、北海道を除くほぼ全国を走っていたディーゼルカーで、宮崎・鹿児島だけという車両ではありませんが、この近辺を走っていた異色の車両が、中央の「キハ26」です。
この写真からではすごく分かりづらいのですが、実はこれ、もともと「キロ25」という車両で、グリーン車でした。
キハ55系はそもそも、急行列車専用として製造されたのですが、後にキハ58系が登場し、それが冷房化されると、冷房もなく旧式のキハ55系はそれぞれ普通列車用として使われることになります。田舎を走る普通列車にグリーン車などは不要なので、そのまま普通車化されるのですが、座席を載せ替えるのにも費用がかかるため、設備は改造なしとなり、結果として、「乗り合わせたらラッキー」という車両として鉄道ファンらから珍重されました。
昭和50年台には、すでに全国区からキハ17は消えかけていたのですが、宮崎近辺ではいまだ現役でした。いつもそうですが、基本、宮崎近辺は古い車両が集まります。しかし、何故かマニアから注目されることはなく、廃車寸前まで、訪れる人も少ないです。
一方、その頃福岡ではどうだったかというと。
左からキハ66、キハ23、キハ35
キハ66系などは北九州専用車両なので、主に吉塚以北で運用されていました。すぐ隣の博多駅にすら姿を見せない不思議な存在でした。
もともと、新幹線が博多駅まで開通し、その客を筑豊各都市まで運ぶ目的で設計され、しかも車内は新幹線と同じイメージの転換クロスシートを装備するという豪華車両だったのにも拘らず、博多駅に乗り入れしなかった(できなかった)理由は単純で、吉塚~博多駅間の線路容量が不足したためです。平成3年にその問題が解決するまで、大部分の列車は吉塚留まりでした。
そのため、足繁く博多駅に通っていたワタシでも、キハ66を見かけたのはしばらく経ってからでした。
キハ66に乗って筑豊へ行くと、キハ23という少数車両に出会うこともありました。キハ20の新型として製造されつつも需要が少なく、あまり造られずに終わった型式です。
キハ35は主に筑肥線や筑豊各線などの、利用客が多い場所を好んで走って(?)いましたが、それ以外の地域では、ロングシートというのもあって、利用客からはあまり歓迎されていないようでした。消滅した今となっては、なんともうらやましい話です。ただしファンの目線では、ですけどね。