› かるブロ › 2015年11月

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Posted by みやchan運営事務局 at

2015年11月14日

人類最大の敵・ねこ

結論から言うと、「ねこ」という野生動物は、人類にとって非常に危険な存在である。

一刻も早く、この野生動物を人間社会から切り離さないといけない。
よく、地方発のニュースで、熊が人間を襲って死傷させたとか、あるいは鹿や猪が田畑を荒らす、猿が住宅街に現れて人間を引っ掻く等の被害が報道されるが、ねこはそれに匹敵するか、あるいはそれ以上の被害を人間に及ぼす。だから、速やかに隔離しなければならないのだ。

以下にその理由を示す。

最も顕著なのは、「ネコアレルギー攻撃」だ。
ネコアレルギー持ち人は、ねこが近くにいるだけで、くしゃみや鼻水が止まらなくなり、生命の危機に瀕する。これほど危険なアレルゲンは、世の中でも、小麦、そば、卵、乳製品、落花生、えび、かに、あわび、いか、いくら、オレンジ、キウイ、牛肉、くるみ、さけ、さば、大豆、鶏肉、バナナ、豚肉、まつたけ、もも、やまいも、りんご、ゼラチン、カシューナッツ、ごま(注:参考・味の素(株)ほんだし・いりこだしのパッケージ背面に記載されているものを参照)と匹敵するものであり、一刻の猶予もない。
そんな危険なアレルゲンを持ちながら、その人間を惹きつけて止まない愛らしい姿から、ついついアレルギーを忘れて触ってしまう。アゴの下をコチョコチョとしてやりたくなる。それも実は、彼らの謀略なのだ。そして人間は、それが謀略だとわかっていても、ついついコチョコチョしてしまうのだ。

次なる彼らの武器は、人間の布団に入る「添い寝攻撃」だ。
これはネコアレルギー攻撃と同様、無慈悲で容赦ない。健常者であろうが四十肩持ちであろうが寝違えた人であろうが、ともかく寒い季節には人間の寝ている布団に入り込んで、「添い寝」という攻撃を行う。布団の中にねこが侵入すると、人間はこれが周到に準備された「添い寝攻撃」だとわかっていても、なるべくねこを最優先して体をゆがめてしまい、ねこが出ていかないよう、最大限努力をする。その結果、持病を悪化させてしまう。
翌朝、寝覚めが非常に悪く、体のあちこちが筋肉痛だと感じていたら、布団にねこが入っていたということがよくある。これこそまさしく、ねこによる「特攻」といってもさしつかえない。

そして、それらを見事クリアできても、最終兵器「すりすりぴょんこ攻撃」には、人類は成す術がない。
こんなに憎たらしく、平気な顔をして人間に攻撃するねこではあるが、腹が減ってしまうと、人間の足に「すりすり」とすり寄ってくる。それでも無視していると、「ぴょんこ」と脛付近に頭部を擦り付けてくる。
エサが登場するまで、これが間断なく続き、人類を疲弊させてしまう。
仕方なく、ようやくの思いでエサを取り出し、彼らに与えてやらない限り、人類に平穏な時間はやって来ない。しかも、このエサのおかげで、一ヶ月に最低でも購入費用が500円もかかってしまうのだ! 一ヶ月に500円といえば大金であり、「うまい棒」であれば、なんと約50本も買えてしまうのだ。

そして、満腹になったら、さきほどの「すりすりぴょんこ攻撃」など、まるで存在しなかったかのごとく去っていく。せっかく、あれほどの苦労と、大枚はたいて購入したエサなど全く歯牙にもかけず、自分のお気に入りの場所へ行き、昼寝を決め込むのだ。

金銭面だけでなく、精神面でも苦境に追いやる、恐るべし「ねこ攻撃」……。まさしく、この世に神は存在しない。

最後に、どうして人間はこうも簡単に、「ねこ攻撃」にやられるのかを考察したい。

そもそも、戦争とは過去の"戦訓"を参考とし、それを訓練に活かすことによって、勝利を勝ち得たといっても過言ではない。
そんな背景はわかっていながらも、人間は常に、ねこに敗北し続けるのだ。
なぜか。

理由は、「ねこがかわいいから」。

彼らに戦いを挑むなど、無意味なものである。

  

Posted by かるみっこ at 00:51Comments(0)ネタねこ

2015年11月13日

駅について

今春、JR九州が社内の駅を大幅に無人化するというニュースが流れ、少なからず各方面に衝撃を及ぼした。

かつての"駅"とは、町のシンボル的存在であり、人や物が集まってまた散っていく場所だったのだ。そのため、歴史のある路線であるほど、そこに存在する駅はホームが長く、立派な駅舎を持つものが多い。たとえ集落から離れていても、そうなっている。

■肥薩線・白石駅

個人での移動手段が鉄道しかなく、さもなくば馬車や牛車、あるいは徒歩くらいしか選択肢がなかった時代では、駅は主役になる、いやならざるを得ない存在だった。
ところが時代が下るにつれ、より小回りの効くバスが現れると、様相が変わってくる。
町役場や病院、デパートなど、より便利なところへ入り込める交通機関が現れると、鉄道の重要性が低くなる。駅も必要最低限の機能さえ持たせればよい、ということになり、駅構内が小さくなっていき、駅舎もこぢんまりしたものとなる。また、高度経済成長に合わせ、ローカル線がどんどん伸びていくと、もともと需要の少ないそこには大きな駅をつくる必要性もなく、シンプルな駅が増えていく。それでも、ほとんどの駅には駅員がいて、きっぷの販売や信号機などの操作を行っていた。

■日南線・日向大束駅

さらに各家庭に自動車が行き渡り、いよいよ、地方にとっては鉄道が交通機関の主役から引きずり降ろされる。
利用客が少ないならば、きっぷを販売したり回収する仕事も、列車内の車掌が担えば良いと判断され、旅客担当の駅員がいなくなる。そして自動化によって、遠隔操作で信号などが切り替えられるようになると、運転関係の駅員も不要となり、大部分の駅から駅員が姿を消した。

■日南線・福島高松駅

駅舎はあるかなきかに等しく、駅舎というよりはむしろ「待合室」であって、手入れも少なく荒廃していく傾向にある。

……実はこれ、主に前世紀の話であって、約100年の間に起こったできごとを簡潔にまとめたものである。
もとより地方中心の見方であって、主要都市のターミナル駅には発展を続けているものや、「エキナカ」などの新しいジャンルを築いたものなども存在するが、それは全国でもきわめて「まれ」な例であろう。ほとんどの駅は、縮小し、無人化し、場合によっては廃止されたりもした。

今回、JR九州の発表で衝撃的だったのは、それなりに利用者が存在する駅でも、無人化を行ったことである。
客数の少ない駅では、車掌やワンマンでは運転士がなんとか対応できていたが、福岡の香椎線などそれなりに通勤・通学で使われている駅で、本当に無人化できるものだろうか。と疑問に思うのだが、実はこれらの駅のほとんどが、街の中心部へ向かう客であったり、それらの客がICカード・SUGOCAを使うので、特に問題はない、ということなのだそうだ。

そうなってくると、もはや駅はバス停と同じ存在である。
私が最も危惧するのは、そう遠くない将来、無人化が進んだ駅の駅舎が老朽化などの理由でどんどん取り壊され、ホームとごく簡素な雨よけ程度しか設置されないのではないか、ということ。もちろんそれで「乗降のための」駅としては十分な役割を果たすのだが、どうにも物足りない。
「駅めぐり」をしている人はそれなりにいるが、「バス停めぐり」を趣味にしているという人の話は聞かない。
その両者にある距離は、駅舎であったり設備であったり、あるいは歴史なのだと思うのだが。
ふらりと途中下車して、駅を見、町を歩いてみるということもなくなりそうではある。

ただ、「どれが正解なのか」という問いに対する答えを、残念ながら私は持っていない。
一部ではクルマ社会と結託し、「道の駅」を「駅」に併設することを実現した所もあるが、これでも賛否意見は分かれる。
どうも、私を含めて、鉄道を愛する人というのは、自分の金を出し惜しむ割には、意見の出し惜しみをしない傾向はあるので、このあたりでやめておく。

  

Posted by かるみっこ at 08:51Comments(2)鉄道

2015年11月12日

蒸気機関車

その昔、年配の(敬意を込めて)鉄道マニア先輩方の前で、「SL」などと発言すると、軽く説教を食らったものだ。
「"SL"なんてアルファベット二文字で表現できるような、軽薄なものではない。"蒸気機関車"という、どっしりとした重厚な機械集合体なのだ」

実は、私は蒸気機関車が現役で活躍している場面に接したことがない。
私が生まれた昭和40年代の後半は、すでに国鉄全線で無煙化がほぼ達成していて、「機関車」といえば「電気機関車」や「ディーゼル機関車」だった。
しかし、それもごく一部でしか用いられておらず、鉄道車両といえば、専ら電車やディーゼルカーに代わっていた。編成の長さを除けば、現代の状況に近い。
そういう車両が趣味の対象であるワカモノに、「蒸気機関車というのは、だな」と説教食わされても、正直なところ、実感がわかない。
「銀河鉄道999」がテレビや映画で放送され、一種の流行になっていたけれども、実物を見ないことにはその重厚さは分からない。今のデジタルハイビジョンと違い、ブラウン管で見る蒸気機関車は、むしろ「SL」と言っても差し支えない程度の存在感しかなかった。

全国の国鉄路線から蒸気機関車が消えてしまった後、山口線で「やまぐち号」なる列車がC57牽引で復活したが、個人的にはテーマパークの乗り物のような存在として受け取っており、隣の県に住んでいたにもかかわらず、観に行くことすらしなかった。それよりも、身近にいるはずだけどレアもののキハ66だとか、そろそろ消えてしまいそうなED72/73に関心があるという、嘆かわしい少年だった。
そのうち、九州でも蒸気機関車が復活することになった。ご存知、「SLあそBOY」である。他の路線で復活していたC57やC62、そしてD51と比較すると、軽量級の8620ということもあり、ただでさえ蒸気機関車に興味のない私は、この点においても魅力を感じることはなかった。
ただ唯一、非常に感心したのは、余分な装飾を施すことなく、限りなく現役当時のスタイルで現れたことであって、引く客車の方は仕方ないにしても、ノーマルスタイルを愛する私にとって非常に好ましい姿だったことだ。このあたり、実は、細かい部分で現役時代とは違う点がいくつもあった、という意見もあるが、お召し装飾のようなキンキラキンな姿でない限り、良しとしたい。

初めて、動いている「蒸気機関車」に出会ったのは、それから少し後だった。2000年くらいの事だと思う。とあるデジカメの画像チェックをするために阿蘇へ出かけ、キハ200などを撮影していて、偶然この「あそBOY」に出会ったのだ。
「ああ、蒸気機関車っていうものは、本当に『シュッポシュッポ』と音がするものなんだ」
と、すでに子供ではないのだが、「現代っ子」丸出しの感想を思い浮かべた。そして、かつて見たアニメ「銀河鉄道999」のSL走行音が、本当に蒸気機関車のそれだったんだ、と改めて認識した。

技術が進歩し、車体は軽量化し、エンジンやモーターも高出力化する。かつて国鉄時代に鈍重だと言われて嘲笑されていたキハ40系も、エンジンや変速機を換装して、軽々と加速していく。ちょっとした登り勾配でも、何事もないようにスイスイと登っていく。そういう姿を見て私は、
「"キハ40"っていうのは、もっと重たく、エンジンを何度も噴かしながらゆっくり加速していくもんなんだ。登り坂では自転車のような速度で走るべきだ」
などと愚痴を言ってしまう。その瞬間に、先輩の鉄道マニアの姿を思い出す。ああ、あの時彼が言いたかったのは、きっとそういう事だったんだと。

そしていつになるか分からないが、リニア新幹線などが完成し、フワッと浮きぐんぐん加速していくのを見て、それをどう思うだろう。
今の、車輪とレールを使う電車が「あたりまえ」と思っている、若い鉄道ファンが、将来そんなリニアを見て何と言うか、聞いてみたい気もする。その頃私はもう、生きていないだろうけど。

つい先日、たまたま訪れた肥薩線の白石駅で、「SL人吉」と出会った。


黒煙をもくもくと吐き、山にこだませんとする汽笛。ゆっくりゆっくり、複雑な機械が動き始め、やがて動力が車輪に伝わり、重々しく速度を増していく。
D51などと比べたら確かに軽量級なのかもしれないが、それでもこの迫力。
昔は、全国の鉄路にこの仲間があふれ、駆け巡っていた。
それを動かしていた現場の人々。
これに揺られて旅した人々。
そう考えると、確かに、「SL」という表現は、ちょっと軽すぎるのかもしれないな、と思った。



  

Posted by かるみっこ at 09:11Comments(0)日記鉄道

2015年11月10日

夜行列車の思い出


私はそのとき、「はやぶさ」に乗って山陽本線を下っていた。東京から福岡へ帰る途中だった。

福岡出身で、なによりも地元に少しでも贔屓したい私は、東京への往復にいつも「あさかぜ」を使っていた。「あさかぜ」は、ブルートレインの第一号であり、その後全国に現れる寝台専用列車網を構築した立役者だ。「動くホテル」と呼ばれる、そんな由緒ある豪華列車の終着駅が、地元・博多であるというのも、ステータスを感じて非常にいい気分だった。
「さくら」「はやぶさ」「みずほ」など、青い寝台客車を十数両も連結したブルートレインが、毎日毎日、休むことなく、夕刻に東京を出発し、翌朝、博多を通ってそれぞれの目的地へ走っていく。そんな本数を運転するほどの需要が本当にあったのかどうか、今からでは想像もしにくいが、ともかく、当時は当たり前のように、ただ黙々と走っていた。
その中に、ダイヤとしてはいちばん最後の順番で「あさかぜ」も南へ向かっていた。博多での到着時刻は10時すぎだったと記憶している。というより、11時前だったから、もうお昼時といってもいい時間だった。ビジネスで使うには、少々不便なダイヤではないかと思う。が、それでも私はよく利用していた。

そんな私が「はやぶさ」に乗っていたのは、言うまでもなく「博多あさかぜ」の廃止が原因だった。ブルートレインのパイオニア、などと言われ、話題性のある車両を先駆けて取り入れるなどの経営努力もしている同列車だったから、しばらくは安泰なんじゃないか、と思っていた。だが、それが廃止されると聞いたとき、私は少なからず動揺した。できれば最後に乗っておきたい、と思った。しかしこの時、私は青森に住んでいて、おいそれと福岡へ行くこともできず、結果的に最後の「あさかぜ」に付き合うことはできなかった。

その後、しばらく経ち、ようやく長期休暇が取れたので、青森から東京を通って福岡へ帰る途中に乗ったのが、上記の「はやぶさ」だったのだ。

うららかな山陽路を西へ向かっている途中に、ふっと思った。
「いつかは、この『はやぶさ』も廃止になってしまうだろう……」
閑散期だったせいもあるが、車内はガラガラで、一両に数人しか乗っていなかった。
「何年後か分からないけど、こういう風に列車に揺られて、ただ車窓を眺めるだけで無為に過ごすという、そのことが『ぜいたく』になるかもしれない」
何の根拠もなくそんな思いが去来した。
それが今、寝台特急が全廃されてしまい、最後の砦である急行「はまなす」ももはや風前の灯火と聞くと、あの二十年以上前に「はやぶさ」車内で考えていたことが思い起こされ、今の私は絶句してしまう。

旅行の形態は、人それぞれだ。
観光地で目一杯見て回りたい人もいれば、ただ汽車に揺られているだけで至極の楽しみを味わえる人もいる。全国の市町村役場を訪問するなんてものも、立派な旅だし、ローカルバスで見知らぬ人と会話したいという人もいる。
しかしながら、効率化や高速化で、それまで全国にあったブルートレインがすべてなくなってしまい、あるのは富裕層相手の、豪華絢爛列車だけというのも、なんとなく物足りないと思う。
と文句をいいつつも、自分では何もできない無力さを悲しく思う。

可能であれば、また今度、「ブルートレインたらぎ」にでも泊まりに行きたい。

下の写真は、かつて宮崎にも走っていた「彗星」。
  

Posted by かるみっこ at 20:57Comments(2)日記鉄道