› かるブロ › 2013年01月14日

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Posted by みやchan運営事務局 at

2013年01月14日

山仮屋隧道

先日のエントリで日南高岡線について(少し)書いたので、今回はそこでも触れた、県道宮崎北郷線の「山仮屋隧道」についても書いておきたい。
あまり知られていないが、宮崎で最初の「道路トンネル」である。県道27号線のそばにある。

県道27号・宮崎北郷線は、旧「飫肥街道」をほぼそのまんまトレースしており、徒歩で踏破すればかつての参勤交代時代を満喫できる道路として今日人気がある(……わけない)。自動車時代になる以前までは、宮崎県初の隧道を擁するなど改良の跡が見られるが、なぜか、それ以降は完全に見捨てられたような存在になっており、地元車またはアウトドア好きの通行車以外はなかなか見られないのが現状である。(注:ただし、最近の一部区間では工事車両も多く存在する)

しかも、先述の県道28号線・日南高岡線が改良され、宮崎(およびそれ以北)と日南・飫肥地区を結ぶメインルートとなると、完全に主役の座を奪われてしまう。県民向けには完全に蛇足だが、とりあえずその位置関係を示すと、

こんな感じである。
末端では「谷合」という、名が体を現すようなバス停のある、谷間の小集落で日南高岡線と合流し、あろうことかそこで宮崎北郷線の「飫肥街道」は終了する。もちろん、ここから先の県道28号線も、旧「飫肥街道」である。

さて、目指す山仮屋隧道であるが、厳密に言えば、宮崎北郷線には存在しない。

以前、知人に
「このあたりに古いトンネルがあるよ」
と適当な紹介をしたが、「行ったけどわからなかった」と言われたことがある。
それもそのはず、トンネル近くのルートが開削され、この宮崎北郷線としては珍しい2車線道路となり、一気に峠をパスできるような場所になった。もちろん先人の功に敬意を表して、「山仮屋隧道」の標柱は立っているが、どうも見落としがちである。

ただ私も、一度見落とした経緯があるから「仕方ない」とはいえないが、結構このトンネル、「意外な」所にある。
google mapやyahoo地図では、もはやその姿が見られないので、ぞれぞれの航空(衛星)写真で見てみると

↑クリックすると拡大

見えますか?

解説つき↓

↑クリックすると拡大

なぜか、「わざわざ寄った」ような位置に存在するのである。

もちろんこれは、隣の切り通し開削後の、現代人の視点から見ているので、「わざわざ寄った」という姿に見えるのだが、かつて、工事のための機材も技術も乏しかった時代、山を切り開き、ようやく見つけた鞍部付近に、必死の思いでトンネルを造ったことは想像に難くない。実際、上の写真では、このトンネルの前後に古道とおぼしき筋がうっすらとつながっているのが見える。トンネルだけでなく、その前後の道路も大幅に改良されたのだ。
しかし、と思う。
このトンネルには、大阪の堺から取り寄せたレンガが使われている、と案内看板に書かれている。短いトンネルではあるが、膨大なレンガが必要だったのではないかと思うが、そこまでやってトンネルを造る必要があったのだろうかと思えてならない。その資金と手間を考えると、鞍部をオープンカットした方が良かったのではないかと思う。

この意識のズレは恐ろしいと思う。現代人が、過去の人々の苦労を想像できないのがその要因だが、歴史を見るうえでの「現代の尺度」は危険な物差しである。

自分の思慮のなさを反省したところで、いざ本体である。

こちらは飫肥側。トンネル周囲の木々の織りなす姿がただならぬ歴史を感じる。
訪問当日(2012.1.13)は雨。周囲は霧が出ており、写真よりもまだ暗く、荘厳な雰囲気に包まれていた。
明治隧道なのに、やたらと背が高い。馬車や人力車くらいが相手だったはずなのに、(1車線分しかないが)現代のトラックでも通行可能な高さである。

ただ、残念なことに、というか、なぜか

えっ? 通行止め?
別に補修やってたり、工事を行なっている雰囲気ではないのだが……
ま、それほど通行の必要性のないトンネルだし、万が一、「阿修羅参上!」などと落書きされても困るし(ここまで登ってきて書く人もいないと思うけど)

一応、

切り通しの横には隧道の標柱があり、同時にここは、付近を通る東九州自動車道の工事車両入口になっている。だから平日はトラックと遭遇する可能性が高い。

これは隧道入口すぐ横にある工事看板。この左に目をやると明治隧道(一番上のトンネル入口写真)。そのギャップが激しい。

トンネル内部に入って見たいものの「通行止」だから仕方ない。ただ、「別に入ってもいいよ」というようなA型バリアなので、その気になれば徒歩で入ることは可能だが、それ以上に今回侵入を見送ったのは、その「ただならぬ雰囲気」であり、雨天&森林で暗く、かつそこに存在する「明治の遺構」の迫力に押されて、素直に「通行止」に従った。というより、寒かったんだよね……(笑)子供も一緒にいたし。

そしてこのトンネルの案内が、宮崎側に立っている。

案内文をここに紹介して、この項を終わりたい。

「山仮屋隧道は県内初の道路トンネルである。このトンネルは、宮崎飫肥間を結ぶ県道(現在の県道宮崎北郷線)の開設に伴い建設された。宮崎清武間の開通は明治20年頃で、明治23年には山仮屋への道路開削が始まった。宮崎山仮屋間の県道開通は明治25年である。
一方、飫肥山仮屋間も明治25年に一部を残してほぼ開通しており、明治27年頃には宮崎飫肥間の全線が開通している。山仮屋隧道の工事は明治24年に着工し、翌年の明治25年に完成している。
トンネル内部の覆工には、大阪の堺から取り寄せた良質の煉瓦が仕様されており、側壁部にはイギリスの手法、アーチには長手積みの手法が採用されている。これらの技術は当時の最先端の土木技術であり、貴重な資料である。トンネルは内部の高さが約4.3m、トンネル幅約4.8m、道路幅員約3.8m、長さが約56mである。
山仮屋隧道が建設された時期は、ちょうど人力車や客馬車が各地に普及し交通機関としての重要性が増してきた時期であり、近代日本の交通事情の変革期であった。宮崎飫肥間の県道開設とそれに伴う山仮屋隧道の建設は、それまでの既存の交通体系の変革という意味において、近代日本の交通史を考える上で重要な意味を持つものである。」
  

Posted by かるみっこ at 07:35Comments(1)道路