› かるブロ › 2013年01月29日

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Posted by みやchan運営事務局 at

2013年01月29日

内海駅


内海駅に停車中の日南色キハ40、個人的には「キスケ」と呼びたいカラーリング。
この駅は構内が広く、どんなに少なく見積もっても、旅客用島式ホーム(1面2線)と、貨物用側線2本に、駅舎併設の貨物ホームが入りそうなスペースがある。
しかし、現在は片側ホーム1本だけという姿で、しかも、「以前は手前側にも線路がありましたよぉ」と言わんばかりに、ホーム前後の線路が曲がっている。なお保線用とおぼしき側線が1本あるが、途中で切れているので尚のこと寂しさを増す。

★内海駅構内配線図★

その昔出版された「国鉄全線各駅停車」シリーズ風


このような配線の場合は、大抵、次のような歴史を持つ。
  1.列車交換(行き違い)ができる構造で開業
  2.輸送量が減って本数削減
  3.交換機能廃止
  4.しばらく線路は放置するがメンテナンスの都合で撤去
  5.変な線路の形だけが後世に残る
列車本数が減りに減ってしまったが故に、交換設備を廃してしまったようなのだが、それでも昔の写真を紹介しているサイトなどを見ても、1974(昭和49)年には現在と同じ姿になっている。

★↓参考にさせていただいたサイト★
http://blogs.yahoo.co.jp/br1216er/4794113.html

1963(昭和38)年5月に全通し、翌年に貨物営業開始となったのに、そのわずか10年後の写真には現在と同じ姿でしか写ってないとなると、やはり、開業当初から今のような線形ではなかったのだろうかと勘ぐってしまう(もし違ってたら、どうか情報提供お願いいたします!)
つまりワタシの予想では、
  1.将来を見越して広い構内に片側1本で開業
  2.なかなか客も貨物も増えない
  3.現在に至る
っていう具合じゃないかと思うのだが、いかがだろう。

現在の内海駅から眺めると、川の対岸に集落が見えるが、宮崎交通時代の内海駅はその対岸、今でいえば港付近に駅があった。もともと内海港は、同じ宮崎県内の油津や細島と並んで、重要港湾に指定され、整備されたのだが、町の中心から遠いうえに浅瀬で使いづらかったらしく、取り扱い貨物の量も少なかったという。
宮崎交通の鉄道部門はもともと、内海港で扱う貨物を輸送するのを目論んで建設されたのだが、そのような事情により苦しい営業が続いた。最後まで好転することなく、宮崎交通として廃止する1年前には土砂崩れが発生して、以後再開することがなかった。
だから、ひょっとすると、今のように道路万能な時代にならなければ、国鉄の内海駅でも貨物を扱う可能性があったのかもしれない。それが故に広い用地を確保したのではないかと思う。またまた勝手な推測ではあるが。
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とりあえずこちらが参考書籍。ネコ・パブリッシングの、この手のムックは資料としては非常に重宝するのだが、いかんせんその内容量(ここではワタシの偏った視点で、内容量=ページ数)が少ないと感じてしまう。んが、もし同社がこのシリーズを出さなければ、決して出会えなかった情報があるのも事実なんだな。ああ褒めてるのか貶してるのか分からん(笑

んでもって、やはり追記↓
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Posted by かるみっこ at 21:49Comments(0)鉄道