› かるブロ › 2013年01月

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Posted by みやchan運営事務局 at

2013年01月26日

カメラマン


何の本だったかなぁ……、よく覚えてないけど、以前、写真関係で、ある興味深い記事を読んだことがある。
なかなか記憶から外れずに、未だに思い出すことがある。

Q どうしたら、カメラマンになれますか?

A 簡単なことだよ。名刺を作って、自分の名前の上に「カメラマン」と書いて、知人に『僕、カメラマンになったよ!』と言えばいいだけなのだ。

……

カメラマンは、資格も試験もいらない。誰でも名乗れる。
突然名乗っても、誰が困ることもない。
例えばここに、人が100人いるとしよう。そのうちの90人が、君の撮った写真が素晴らしいと判断すれば、それで君にはカメラマンの素質があるんだ。
カメラの知識、写真の技術なんて不要なんだ。撮ったものが心を打つものであれば、それでいいんだ。
ただし、そのセンスを磨くのは並大抵のことではない。いや、持って生まれたセンスというのもある、そんな天才には、どんなに努力をしても、なかなか追いつかないだろう。

だからほとんどの人は、写真の「撮り方」を学ぶし、「技法」を習得したがる。
それで上手くなってる錯覚に陥るけれども、結果的には、やはりセンスにかなうものはない。

『どんな写真がいい写真か』なんて決まりがあるのか? いや、決まりなどない。それは人によって解釈がさまざまだからだ。
ある有名カメラマンは、『日の丸構図』こそ素晴らしいと褒め称えている。
なぜなら、日の丸=写真の中心地に撮りたいものを持ってくる、つまり、被写体を愛しているからそうなるし、なにしろ、写真の中心地は、最もレンズの解像力が優れている場所なのだ。最高のポジションじゃないか? 僕もそう思う。

写真は他の芸術に比べ、まだまだ歴史が浅い。
だからこそ古いしきたりや、権威なんて存在しないほうがいい。
でも人間が芸術にかかわると、いかんせんそれを作りたがる。
それがまた、人間臭さでもあるのだ。」

……

なるほど。
賛同できる部分とできない部分があるけれども、

「写真なんて自由なんだよ」

というメッセージが聞こえる。
ワタシがこれを読んだのは、たぶん20年近く前、まだフィルム写真が全盛の頃だった。
フィルム時代は、撮影枚数が限られていたし、写真を撮ったら現像しなければ映像を見られなかった。
それが今、デジタル時代になり、撮影したらすぐに確認できるようになった。
写真の撮影・現像に対して不自由がなくなった。お金をかけなくても良くなった。

さらに、撮影する画像にエフェクトをかけ、不思議な効果を出すこともできるようになった。
ちょっとくらい失敗しても、レタッチでそれをカバーできるようになった。

今、その頃の
「写真なんて自由なんだよ」
が、十分に開花していると思う。

※出典元不明。  

Posted by かるみっこ at 23:13Comments(0)日記

2013年01月25日

みやざき犬vsくまモン……


うーん。
さすがにくまモンは強大な敵である(?)
バナーイラストのもとになった、昨年の残暑見舞いイラストをアップにしてみた。
けっこう言いたい放題描いてる気がする。
  

Posted by かるみっこ at 23:34Comments(0)イラスト

2013年01月24日

個人的意見


みやざき犬は、なんとなくこのくらいの空間が似合っているような気がする。

んーうまく説明できないけど、なんとなく謙虚なイメージがあるから、あんまり前へ前へ出てこないというか。
完全に偏見でした笑  

Posted by かるみっこ at 22:44Comments(2)イラスト

2013年01月23日

真幸駅

宮崎で一番最初に開業した駅は?
そう言われると、当然県庁所在地の「宮崎駅」の名前が出ると思うが(ただし非鉄道好き)、宮崎駅は1913(大正2)年。それより以前に開業したのが、これから紹介する真幸駅。1911(明治44)年の開業である。

本題に入る前に、その真幸駅の位置を確認していただければと思う。

すんげー山奥にあるのだ。
「なぜそんな山奥に宮崎第一号が?」と、訝しがるかもしれないが(ただし非鉄道好き)、わずかに見える鉄道路線を見ればなんとなく分かると思う。博多(福岡)から順調に南下していた鹿児島本線が、ただたまたま、宮崎を「通過」したのにすぎないのだ。もし、宮崎の県境がもう少し東であれば、真幸駅は「宮崎第一号」ではなく、地味な他県の駅であったはずだ。

今でこそ鹿児島本線は、海岸沿いを走っている(ただしこれは新幹線開業と同時に第三セクターの「肥薩おれんじ鉄道」に転換された)。
しかし、明治政府は、それ以前に体験した欧米列強による艦砲射撃を極端に恐れており、その影響が少ない山地への鉄道建設を要請した。ただ、この人吉~吉松ルートは、あながちそれだけを避けるためでなく、最短距離で鹿児島へ抜けられるという意味もあったようだ。現在の高速道路がほぼ同じルートを辿っていることからもわかると思う。

そのような経緯があって、真幸駅は明治44年に開業したものの、その歴史は決して華やかなものではない。
無理をして通した山岳ルートゆえに、特に貨物列車が非常に難渋し、交通の隘路となっていた。
人吉~吉松の間に、スイッチバック2箇所、ループ1箇所を擁するその姿が、何より現実を語っていると思う。
それ故、大量の貨物を捌けず、結果的に数本に分けて運転したり、機関車を複数つなげて運転するなどの苦闘を強いられる。
そして1927(昭和2)年に現在の海沿いルートが開通すると、主役はとって代わられ、「鹿児島本線」という名前も奪われ、「肥薩線」というローカル線へ転落する。
転落後も不運が重なる。
終戦後の1945(昭和20)年には、復員兵を載せた列車が立ち往生し、煙に巻かれた人々が、外へ脱出するために線路を歩いていたところ、列車がバックしたために多数の犠牲者が出てしまう事故が発生。
さらに1972(昭和47)年には山崩れが発生して駅を壊滅状態にさせてしまう。後に復旧したが、このときの岩が今でもホームに置かれて、その惨状を後世に伝えている。

しかし、もともと乗客がきわめて少ない、という条件は、ある意味良かったのかもしれない。遠距離の直通客さえなくなれば、地元の利用客は少なく、それが故にいろいろな意味で、手を加えられることがなかった。つまり明治後期の姿をずっと留めることができたのである。


真幸駅外観。古く低めの木造駅舎、そして右側につながる屋根の雰囲気が、まさしく明治時代の「急行停車駅」の様相を呈している。ごめん上手く説明できない(笑


正面から。


かつて蒸気機関車が運転されていた頃の本線は、このような作りであったらしい。確かに今SLが走ってきても違和感なく感じる(だけ)。

ただ、クルマで来ると、

いかにも観光地してます、というこの看板が正直興ざめな感じがする。しかも数箇所あり、こればっかりは真幸駅の姿にそぐわないと思うのはワタシだけだろうか。……ワタシだけなのかもしれない(笑

駅周囲には集落がない。
昔の写真などを見ると、駅近辺に官舎らしきもの、そして駅前に集落があるのだが、この集落は先述の山崩れの際に移転してしまったらしく、消えてなくなっている。
また、真幸駅の裏付近には小学校跡もある。内堅小学校といい、廃校になって久しかったが、今ではギャラリーになっているらしい。以前、まだ無人だった頃訪れたときには、建物が妙に新しかったので勿体無いと思ったが、良かった。

まだ書き足りないが、近いうち追加して記したいと思う。  

Posted by かるみっこ at 00:03Comments(2)鉄道

2013年01月22日

推敲中……


たぶん未明にはアップできると思うのだが、最初は軽く「ある駅」のことを書こうと思っていたら、実際には書く内容が多すぎて、1時間程度では文章がまとめられないことが分かった。
イラストも遅筆だが文章も遅筆なのである。ついでに人生も遅れがちなのだ。余計なお世話だ。
さて、出来上がるかな(笑)。
まずはフロ入ってくる。
  

Posted by かるみっこ at 21:18Comments(0)イラスト